【震災特集13】原点の思いが支え 新聞が伝えた震災

 緊急連載「大学から震災の灯は消えたか」第13回。一般メディアは震災をどう伝え伝え続け、どう捉えているか。新聞各社は震災発生直後から、被害状況など被災地の詳細な情報から仮設住宅などの社会問題に至るまで幅広く報道してきた。年月が経つごとに地域による温度差などが生じるなか、震災取材に関わる記者たちの話を聞いた。【8月23日 UNN】

 「阪神淡路大震災を忘れるな」  震災で社屋が全壊の被害を受け、被災地に一番近い立場で報道を続けてきた神戸新聞。毎年1月17日になると、この警句が書かれた看板が編集局の入り口に掛けられる。
 被災地の新聞社として、震災を忘れないための努力。一方で、「最初は、震災を忘れないことは皆、当然のこととして考えていたが、今はそういう言葉が必要だと思うようになった」と社会部震災復興担当の宮沢之祐さん(39)は言う。
 空前の大災害を前に取材に走った新聞各社は、「震災」をどう捉え伝えようとしているのだろうか。

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 震度からはじまり、死亡者数、家屋倒壊数、被害総額…。当時のメディアは被災地の詳細な状況を伝え続けた。その後は仮設住宅の問題や、地域コミュニティーの問題など社会的なものにシフトしてきた。
 朝日新聞で、震災報道のデスクをしている山中茂樹さん(57)は「被災者や遺族をインタビューする『震災を掘り下げる』報道と、他の災害と比較したり災害援助金の地域格差の検証など新しい切り口で『震災を相対化する』報道の2種類ある」という。

 地域による扱い方の温度差も出てきた。大阪本社版なら毎年1月17日の震災特集記事は、1面と社会面のほとんどを割いて伝えているが、東京本社版だと社会面に小さく載るだけ。
 こんな状況について、山中さんは「よくないと思う。新聞社はどうしても身近なものが記事になる。東京はさらに情報量が多いのでなかなか載りにくい」という。
 読売新聞神戸総局の平野和彦さん(27)も「地震などの天災は、日本中どこで起きてもおかしくない。防災という点からも、東京でももっと震災を扱うべきだと思う」と疑問を投げかける。

 平野さんは95年4月、神戸大に入学した。キャンパス周辺は、震災の傷跡が生々しく残っていた。大学のグラウンドに設置された自衛隊のテント群。 ブルーシートが屋根に張られた民家。
 当時の光景が今でも、フラッシュバックのように思い出される。
 「震災で受けた心の痛みを誰かに話したくても、なかなか話し出せない人はたくさんいると思う。同じ境遇にある人を描くことで、そういった人たちを少しでも勇気づけられるような記事が書ければ」と考えている。

 神戸新聞の宮沢さんは、震災直後、こんな仕事が役に立つのかと思ったこともある。挫けそうになったとき励みになったのは震災後すぐのラーメン屋のおじさんの言葉だった。
 「ここにずっと住むのにいい加減にできない」。おじさんは震災当日、朝鮮学校で無償でラーメンを配ったが、お礼は受け取らなかった。
 メディアの仕事は「人と人をつなぐ仕事」と言い切る。「記事を読んでもらうことで元気になってもらえればいい」と宮沢さんは考えている。

 毎日新聞社会部記者の中尾卓英さん(39)は、震災当日の深夜、東灘区の火災現場で取材していた。炎が迫ってきた近くの遺体安置所では、人々が遺体を運び出し、避難を始めた。
 悲しみにさらに追い討ちをかける火の手。あまりにむごい光景に、取材などできなかった。
 中尾さんは人の死や悲惨な場面を描く報道に疑問を抱いた。しかしその後、形は違うが「死」を見つめて続けてきた遺族の人たちに取材を続ける中で、遺族の思いを伝えることが重要ではないのかと思うようになった。

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 中尾さんは、震災モニュメントを200以上訪ね歩いてきた。「多くの人に知ってもらいたい。人と人との出会いを手助けしたい」思ったからだ。
 希望の灯りの事件を聞いたとき、最初に遺族の人はどう思ったのかということが気になった。事件にはショックを受けたが、知ってもらうきっかけになったと思う。

 若い世代に震災のことを伝えるのは、どの記者も異口同音に難しいと言う。朝日新聞の山中さんは「震災が風化と言うよりは若者の社会的関心のなさが浮き彫りになった」という。
 神戸新聞の宮沢さんは「時間が経っていく中で若い人に伝わっていない」と実感したという。「伝えるのは難しい。整理して伝えなければいけない」ともいう。 ではどうすれば伝わるのか。
 読売新聞の平野さんは「同じ世代の人が活躍しているところを取り上げたらいいのではないか」と考える。毎日新聞の中尾さんは「意識して震災のことを伝えるのは難しい。でも震災を学ぶことは大切。強要するのではなく自然な形で学んでほしい」と思っている。

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 震災の取材を続けていても逆風はある。ある新聞社では、震災1年後ぐらいから社内でもういいのではないかという声があがりはじめた。ほかの新聞社でも、月日を重ねるごとに記者の「世代交代」が進み、当時の報道に直接関わった人が徐々に減ってきている。
 「伝える側の(新聞)社内でも、次の世代に震災を伝えていくことは簡単ではない」。各社の記者たちは、こう口をそろえる。震災を十分に伝えてこれたかという点でも、納得はできていない。

 しかし、もう一つ、消えない声がある。
 「6000人以上の人が亡くなったことを伝えるのは、やっぱり大切だ」。
 震災という原点から学んだ、素朴な思い。メディア関係者の報道は、これまでこの声に支え続けられていたのかもしれない。

※連載のバックナンバーはウェブ版特設コーナー(http://www.unn-news.com/sinsai/2003rensai/)でご覧になれます。

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