【震災特集15】まずは残すことから 積み上げられる記録

 緊急連載「大学から震災の灯は消えたか」第15回。震災から8年以上が経ち、その間に残されてきた「記録」は数えきれない量にのぼる。被災者たちの生の声から、学術的な研究まで。記録を残すことは、どういう意味を持つのか。被災者の手記を集めて出版を続けている関係者の話を聞いた。【9月6日 UNN】

 9月5日、2か月の夏休みも半分を過ぎた神戸大六甲台キャンパス。普段よりは人影もまばらな附属人文・社会科学系図書館の2階の一室で、震災の資料を探す学生の姿があった。
 つい立てで仕切られた一角にある阪神淡路大震災関連の蔵書は、2003年9月現在で3万3000タイトル以上。95年4月に設置された「震災文庫」のコーナーだ。
 10面以上にわたって、6段に本がぎっしり詰まった棚が所狭しと立ち並ぶ。書籍以外にも、ファイルに綴じられた写真やビラなど資料の幅は広い。論文を書くために通う学生らのほか、学外からの来訪もある。

 この震災文庫の棚のなかに、被災者たちの声を集めた、あるシリーズ本がある。「阪神大震災を記録しつづける会」が出版している、「震災体験手記集」。震災の年の95年5月に第1巻「被災した私たちの記録」を発行してから、毎年1冊ずつ出版を続けている。
 出版を呼び掛けたのは、同会代表の高森一徳さん。高森さんは、震災前から神戸で出版活動に携わっていた。

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 高森さんの西区の自宅には被害はほとんどなかった。しかし、中央区にあった事務所は館内配管が破裂して水浸しに。日常とはかけ離れた被災地の状況に、「とりあえず、なにかしたかった」。
 出版活動に関わっていたこともあり、最初は「発言弱者」の外国人被災者の記録を中心に集めようとした。2月中旬から避難所や駅で手記募集のポスター貼りを開始。新聞などでも呼び掛け、集まったボランティアは約150人。手記も、最終的には予想をこえる240通が集まった。
 「災害が起こると、通常の枠組みを超えた人と人とのよきつながりがうまれることを実感した」。

 被災1か月後に始まった活動は、8年の間にさまざまな「声」を残してきた。
 活動を続けるうち、「時間が経たないと出てこない、本音の手記が増えた」と高森さん。震災を戦時と比較して、「(震災は)極楽のようなものだ」という異論も出始めた。一方で、遺族たちの寄せる手記には悲しみが消えない。

 それぞれに「震災」の捉え方がある。
 主観に偏ったものではなく、「淡々と記録を残していくこと自体に意味があるのではないか」と、高森さん。それでも、やはり伝わらない部分もある。「(次世代への)語り継ぎは、経験していない人への情報伝達という意味で難しい」。今年5月の「希望の灯り」の事件も、語り継ぎの難しさを浮き出させた。
 「でも、残さなければ、なかったことになっていく」。決まった答えはないが、記録することが、始まりになっている。

 「私達は、いつまでも泣いてばかりはいられません。次の時代に良き教訓を残し、強く生きる心も語り継いでいきたいものです」(震災体験手記集第9巻「記録と記憶」より)。

 震災から8年以上を経て、今も積み上げられ続ける様々な「記録」がある。

※連載のバックナンバーはhttp://www.unn-news.com/sinsai/2003rensai/でご覧になれます。

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