【震災特集20】伝え続ける惨禍と命 広島での語り継ぎ

 震災が起こった神戸と、世界で初めて、原爆の被害を受けた広島。瞬時にして多くの人の命を奪った2つの歴史的惨禍。それぞれの被災地でどのように語り継がれているのだろうか。今回は、被爆から半世紀をへた広島の語り継ぎを追う。【10月11日 UNN】

 原爆投下から58年がたった広島を訪ねた。
 広島駅の近くは賑やかで、路面電車が行き交う。平和通りの木の葉は、もう色づいている。
 太田川と元安川に挟まれた中州に、広島平和記念公園がある。
 「安らかに眠って下さい。過ちは 繰返しませぬから」。公園の中心にある慰霊碑に刻まれた文字。
 教師が碑の前で、集まった生徒に何か話し聞かせている。修学旅行シーズンの10月、たくさんの小中高生が公園内の平和記念資料館に訪れていた。

 平和記念資料館の統計によると、修学旅行などで同資料館を訪れる人は、1994年、6万人あまりだったが、2001年には8万人を超えている。

 広島を訪れた児童・生徒などを対象に原爆の証言活動を行っている広島平和文化センターの会員・廣川松子さん(86)。今も被爆当時の状況を証言し続けている。同センターの証言者は23人いる。
 廣川さんは28歳の時に被爆した。
 爆心地から2・5キロ離れた美容院で働いていた。美容院でお客さんと談笑していると、外で「ピカ」と光ったような気がした。と思った直後、「ドーン」というごう音とともにあたりが真っ暗になった。近くの民家の瓦は吹き飛ばされ、畳はすべてひっくり返っていた。
 黒い雨がふりつける中、廣川さんは夫と負傷者の手当てをしていた。地獄のようだったという。

 「私の残りの人生が少なくなった今、21世紀を担っていく若い子供たちに原爆のことを伝えなければ」と廣川さんはいう。
 10月10日、平和記念資料館を修学旅行で訪れ、廣川さんの証言を聞いた滋賀県多賀小学校の生徒(6年)は、「教科書で知っていたけど、実際に話を聞くとすごかった」と話す。

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 太田川沿いにある広島市立本川小学校は、爆心地から350メートルの位置にあった。
 400人を超える教師と生徒の命が犠牲になった。

 終戦直後から本川小学校では、亡くなった子供たちへの慰霊祭が毎年開かれている。
 当時、廃虚と化した小学校の校舎に机やイスが並べられ、粗末な学用品でも生徒は熱心に勉強した。戦後長く使われていた本川小学校の旧校舎は今、「本川小学校平和資料館」として利用されている。

 本川小学校長の奥原球喜さんは「平和教育をとおして、本当に子供たちに知ってほしいのは、思いやりと命の大切さ。それが伝わっているか、疑問に思う時がある」という。さらに、「鶴を折れば、平和教育だと思っている人もいる。学校は地域と一緒になってもう一度、平和教育を見直す時期にあるのではないか」と厳しい。

 今年8月、奥原さんの不安が的中した。
 平和記念公園に捧げられた折り鶴に、関学生が放火するという事件がおきた。  学生が放火しただけにショックは大きかったという。
 奥原さんは「まだまだ課題は山積している。あの事件は、現状を象徴する事件だった」という。

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 平和教育が広く浸透しているという広島で、「語り継ぎ」はどのように広がったのか。
 そこには、さまざまな曲折があったのではないか。


※連載のバックナンバーはhttp://www.unn-news.com/sinsai/2003rensai/でご覧になれます。

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