秀吉の「楽市」制札発見 地域連携センター

 豊臣秀吉が淡河地区を「楽市」とする命令を記した制札(木製の立て札)が、神戸市教委と神戸大文学部地域連携センターの調査によって神戸市北区の淡河歳田神社で発見された。9月2日淡河町自治協議会とともに共同記者会見を開き、発見の経緯と史料的価値について発表した。18~26日に西区の神戸市埋蔵文化財センターで公開される。【9月2日 神戸大NEWS NET=UNN】

 今回発見された制札は、天正7年(1579)と翌8年の2枚で、秀吉が信長に命じられて三木城を攻め、これを攻略した後に、淡河町の振興を図るために発給したのだと考えられる。
 「楽市・楽座」とは織田信長が始めたことで知られる、商売を独占する座の特権などを廃止し、市での自由な営業を認める政策であり、秀吉もこの政策を継承した。秀吉が発給した制札は現在10例ほどが知られているが、「らくいち(楽市)」の文言が記入された制札は、今回確認された天正7年のものが初めて。また、ほかの制札には見られない条項として、宿屋側が客の求めていないサービスを行い、旅籠戦を過剰に請求することを禁じた事項があることも注目される。

 天正7年の制札は縦約39センチ、横約36センチで、 表面の汚れで読み取れない部分があるが、秀吉の署名と花押ははっきりと見られる。 天正7年の制札を追認した天正8年の制札は、縦42センチ、横32センチで、これには本文、署名、 花押とも鮮明に残っている。
 文学部地域連携センターは1年前から神戸市、淡河町自治協議会と連携しつつ、歴史文化に基づく淡河の町作り事業を展開している。地元淡河町では、この2枚の制札を秀吉の楽市の札として大切に保存していたが、初めて今回の事業でその史料的価値を学術的に確認されたこととなり、この「発見」は地域・自治体・大学の3者の連携事業の成果としても、注目を集めることとなる。
 制札は18~26日、神戸市西区糀台6丁目の神戸市埋蔵文化財センター (電話 078-992-0656) で公開される。 21、24日は休館。入場無料。また神戸大学文学部地域連携センターのURLは: http://www.lit.kobe-u.ac.jp/~area-c/ welcome02.html

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