六甲台キャンパスにある彫像「青春群像」が、大学正門の石段上の、校舎から見える場所に移設された。太平洋戦争をはさんで、わずか10年で歴史を閉じた旧制神戸商業大学予科の卒業生たちの思いが込められた像だ。【9月17日 神戸大NEWS NET=UNN】
神戸大の六甲台キャンパスの一隅にある彫像「青春群像」が17日の午前中から15トンのクレーンと2トンダンプの重機で、大学正門の石段を登ったすぐ右の場所へと移設された。
この「青春群像」は1980年に、神戸大学の前身である神戸商業大学の予科創立40周年の記念祭にあわせて、当時講師をしていた河合隆三さん(二科会員・現大阪芸術大学彫刻科教授)によって制作、建立された。逍遙歌「瀬戸の浦波」を思い浮かべて制作されたという。もうひとつの「青春の詞碑」とともに予科に学んだ者の青春に対する万感の思いが込められているという。
しかしこの二つの碑は、時計塔のある六甲台キャンパス本館の前庭の南端の少し低い位置にあり、そのうえ樹木の茂みに囲まれていたために、一般の人々はもちろん予科出身者でさえどこにあるのか見えにくいところにあった。
これは60年代末の学園紛争のようなことが再びおこると壊されてしまうのではないかという恐れと、海の見える場所が建立地に選ばれたためだという。 案内標識があればと提案されていたが、費用がかかることもあって、いっそのこと群像そのものをもっとよく見える位置へ移そうということになり、大学側と大林組の協力でトントン拍子に話が進んで今回の移設ということになった。
予科というのは旧制高等学校に相当する大学の附属校で、予科を修了すれば無試験で本科(学部)に進学できるという6年一貫教育(予科3年、本科3年)だった。
神戸商業大学予科は1940(昭和15)年に御影に設立されたが、1950(昭和25)年に学制改革のうちに消えた。そして神戸商業大学も、戦争中の1944(昭和19)年に神戸経済大学に名前が変わり、1949(昭和24)年には新制の神戸大学へと改編された。
予科の同窓生で構成される凌霜思誠会会長の嘉納尚さん(昭和21、1946年経済大卒)は「この青春群像のような、白線帽とマントを着た(予科の)学生姿に憧れたものだった」と群像を見て懐かしそう。
神戸大学学友会大阪クラブ・大阪凌霜クラブ顧問の平田二郎さん(昭和23、1948年経済大卒)は、今回の移設について、「24年前に予科出身者が建てたこの像が六甲台の本館前に移ることで甦った。これから大学の人々に見てもらって、志の高い人間形成を目指す教育がなされていた予科を復活させて欲しい」と話す。
平田さんらは、かつての予科のような神戸大学の「附属高校」ができればと願っている。
「幼稚園から大学までの一貫教育によって優秀な人材を育てるとともに、(当時のような)寄宿舎もつくって、共同生活による強い絆を持った学生たちを生み出したい」と夢を描いている。
《訂正》白線帽とマントを着た「神戸商業大学の」とあったのは、「予科の学生姿」の誤りでした。また嘉納さん、平田さんの肩書きは「予科卒」ではなく「経済大卒」の誤りでした。おわびして訂正します。(2004年9月19日00時25分 編集部)?
【写真下】六甲台の本館前に移転した像。設置完了は9月21日を予定している。(いずれも9月17日・六甲台キャンパス本館前で 撮影=武井礼美)
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