震災を語り継ぐ 音楽演奏と交流講演会

 震災10周年の慰霊事業プログラムの音楽演奏と交流講演会が、慰霊祭に続いて百年記念館六甲ホールで午後1時40分から行われた。混声合唱団アポロン他の演奏のあと、震災を体験した人や、遺族の講演へと続いた。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

《亡くなった人たちへ 鎮魂の演奏会》

Photo 「神戸大学阪神・淡路大震災10周年事業委員会」の北村新三委員長のあいさつのあと、混声合唱団アポロン、交響楽団、混声合唱団エルデ、マンドリンクラブの4つの課外活動団体による鎮魂のための音楽演奏と歌唱が行われ、遺族も学生の演奏に耳を傾けた。
 中学、高校、大学と吹奏楽部に所属し、チューバやユーフォニウム、バスクラリネットといった低音の楽器を演奏していた故・工藤純さん(当時法・M1)の母・延子さんは「『低音の楽器の数で演奏の深みが違う』と話していた息子のことを思い出しました」。  また、「学生さんをみると、息子に似た顔の人がいないか探してしまうんです」と口を揃えたのは戸梶道夫さん(当時営・2年)の母・栄子さんと、藤原信宏さん(当時営・4年)の母・美佐子さん。

《生きることの大切さを伝える 交流講演会》

●「学生の救助活動すばらしかった」 六甲町で救援に携わった神谷正弘さん

 休憩をはさんだあと、交流講演会「震災を語り継ぐ」が行われた。
 まず最初に、神戸大生が被災した西尾荘のある六甲町に在住で、救援や町の復興に携わった神谷正弘さんが壇上に。震災当時、六甲町に住んでいたという神谷さんは、神戸大生が救助活動に活躍したことを紹介した。
 六甲町は神戸大生3人が犠牲となった西尾荘のある地区。神谷さんは震災に遭い、自宅から出た直後に西尾荘で被災した神戸大生に会った。「深刻そうな顔をしていた」という学生に理由を尋ねると「西尾荘で3人は救助できたけど、3人は救助できなかったんです」と答えたという。
 その後、学生たちは着の身着のまま、神谷さんとともに近所の人が行っていた救助活動に参加した。「学生さんたちの活躍はすばらしいものだった」と神谷さん。神戸大に知らせようかとも思ったともいうが、神戸大も被災直後で混乱の極致。タイミングが悪いと考えた神谷さんは、今回の講演会のコーディネーターでもある岩崎教授と親しくなった時に初めて伝えたのだという。
 この他、震災4日後に雨の中、牛乳を配って歩いていた家族、避難所に進んで手伝いをしにやってきた子供たち、震災をきっかけに生まれた神戸大学総合ボランティアセンターの活動などに触れ、「緊急時には、やはり個人が何をするかが重要。若い人、特に学生さんたちが力を尽くせるのはすごいことだ」と話した。

●「生きることの大切さ伝える使命がある」 故・白木健介さんの父、利周さん

 続いて、亡くなった経済学部生の故・白木健介さんの父、白木利周さんが講演した。「長男は即死で、このことで沈んでいました。しかし、周りの人々から思いやりを受け、少しずつ心を許していきました」。
 白木さんは、他の遺族らとともに慰霊碑のある地を示した地図の作成や、「1.17希望の灯り」の活動にも参加している。「同じ苦しみや悲しみを知った人が話すことで理解が得られると思います。震災のことが風化していかないように、次の世代、さらに次の世代に命の大切さ、生きることの大切さを伝える使命がある」という。
 また、「生き残ったと思わない。こう考えると片意地を張ってしんどくなってしまう。だから生かされると思えばいい。これは受け身な考えで、自分のできることしかやらなくてすむから、安心できる」と語った。
 白木利周さんの講演には遺族の工藤さん、戸梶さん、藤原さんも耳を傾けた。講演後には「すごく落ちついて話してらっしゃいましたね」(戸梶さん)、「震災の最初から順番に話してらして、分かりやすかったです」(藤原さん)と感想を話した。

●夜間宿直など体制づくり 農学部の避難所運営を支援した村上助教授

Photo 農学部の避難所の運営を支援した村上周一郎農学部助教授。「自分の受け持つ生徒たちの安否はすぐに分かり、全員無事でした。食料を持ち寄って、合宿みたいな気分で乗り切ろうとしたのですが、18日には下の小学校に1000人くらいの人々が避難するような状況になっていた。こうなると食料がなく持ちこたえられるかわからないため、苦渋の決断ではあったが学生を一時帰宅させることが決まった。19日朝から炊き出しで作られた握り飯を持たされた学生たちが、電車が動く西宮北口まで歩いて向かっていった」と当時の対応を話した。20日には大学本部に食料が集まり、これで避難してきた人々への支給は可能になった。21日には夜間宿直などのサポートの体制ができた。
 村上さんはポイントとして食料の確保を指摘する。「食料の安定した確保があれば最低限対応できるのに、これがいかに難しいのか痛感した。あの時は、対応する力がなかったために学生を帰すしかなかった。2日目に食料が用意できたらそんなことはなく、大学の復旧も早かったはず」。

●「学生には力が眠っていた」 総ボラ創設に参加した稲村和美さん

 最後に、当時法学部3年生で、震災時救援活動を行い、これを機に「神戸大学総合ボランティアセンター」創設に参加した稲村和美さんが、当時の活動の様子を語った。「震災から数日後、東灘区の小学校で泊り込みのボランティアを行っていた。物資や掃除のことを話し合い、避難所で何の仕事ができるのかを見つけて活動していると、普段は無気力かもしれない学生にはこんな力が眠っていたのだな、と感じた。そして私自身は被災しなかったが、ここで多くの人々と会い、多くのことを学んだ。」
 「『神戸大学総合ボランティアセンター』を創ったのは、このような救援活動を地元の学生で被災地のニーズにこ応えつつ継続することと、震災に限定されず元からあった問題にあたる拠点を、と考えたため」と「総ボラ」創設の経緯も語った。稲村さんは現在市民活動へ向かい、兵庫県議会議員だ。

●「次の10年をどうするか考えねば」 10周年事業の副委員長・岩崎教授

 10周年事業の副委員長の岩崎信彦文学部教授は「震災は10周年ではすまない。次の10年をどうするのか考えなければならない。今日は、様々なシンポジウムや今日の慰霊祭などを行ってきて成果が見られると思う。特に経営学部の学生が1つ1つ名前を書いた折り鶴を心をこめて作り、遺族の方々に渡していたことに感動しました。また、音楽の演奏も素晴らしかった」と語った。

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