故・上野志乃さん(当時発達・2年)の父、政志さんが1月17日午前5時46分、志乃さんが亡くなったニュー六甲ビラの跡地横にある「箱」と呼ばれる慰霊碑の前で、静かに手を組み黙祷した。黙祷の後、政志さんは、毎回「箱」を訪れた時に記すノートに「みんなが会いにきてくれて嬉しいやろ。周りの気持ちや力はありがたいなぁ」と志乃さんへの思いを綴った。【1月17日 神戸大学NEWS NET=UNN】
当日雨が降りしきる中、政志さんが自宅近くの山で切ってきた竹で作られた竹筒に3つに火が灯された。準備を終えた後、政志さんはじっと箱を見つめ、下を向き、前で手を組み、時計が5時46分を示すのを待つ。寺院や教会の鐘の音が聞こえる中、政志さんは「箱」を覗き込んだり、供えられた花を直したりしながら何度も見つめた。
「箱」には同じ下宿で被災した学生の両親や友達からが花やケーキが供えられていた。政志さんは、今年も志乃さんがマンドリンクラブの冊子の表紙に描いた思い出の花「デンファレ」を持ってきた。
政志さんは、「今日は残念だと思う気持ちと、”箱”をおかさせてもらっているという感謝の気持ちです」と思いを話した。また、「9年も、8年も変わらないが、娘の場合は(レポートで10年後の設計図を書いていたので)思いが強いです」と思いを話した。(震災1年追悼手記 http://home.kobe-u.com/top/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm、震災5年追悼手記 http://www.unn-news.com/sinsai/tokusyu2000/)
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