24人の学生の命を奪った、JR福知山線脱線事故から1か月を迎えた。事故現場の献花台には、犠牲となった学生の家族や友人、同じ大学の学生が訪れ、犠牲者の冥福を祈った。【5月25日 UNN】
事故現場では、線路上の献花台とは別に遺族用の献花台が設置された。周りを白いビニールで囲んでいるため、マスコミ各社は隙間や脚立、クレーン車を用いて中の様子をうかがっていた。入口も横に開閉するシャッターが付けられ遺族や関係者以外の立ち入りは規制されていた。遺族らは自家用車やJR西日本が用意したと見られるハイヤーで事故現場を訪れた。犠牲者が命を落とした現場に向かうときは胸元に花束を抱えていた。現場から去る際にはカメラを避けるように目深に帽子をかぶったり、ハンカチを目元や口元にあて、悲しみに耐えていた。
線路上の献花台では事故当日、救助にあたった事故現場の近辺の住民や、親しい知人を亡くした会社員、犠牲になった学生と同じ大学の学生や、追悼の思いをつづった短冊を手に冥福を祈る学生らが訪れ、献花台に手をあわせた。
脱線事故の犠牲になった学生の1人が通っていた大阪府大の学生(3年・22歳)が事故現場に訪れ、線路上の献花台で手を合わせた。同じ学生として大阪、京都の学生が、犠牲になった学生へ追悼の思いをつづった、短冊約100枚を献花台に供えた。「直接、面識はないが、JRは利便性やスピード重視にしたことを反省して欲しい。他の人を思う余裕を持って欲しかった。そう考えると自分も余裕があるのか自信はないのですが…」と同世代が亡くなったことへの悲しみを感じていた。献花台に供えられた短冊には「2度と起こらないように」と書いてあるものが多かった。
午前10時30分頃、献花台を訪れた松本政明さん(大阪富士工業株式会社)は「事故からの1か月は早かった。毎日黙祷に来ているが、胸がつまる思いだ」と話す。大阪富士工業では事故直後、一部の社員が救助活動に参加している。事故を引き起こしたJRについて「上(の役職の人)は現場の現状を知るべきだ」とコメント。被害者への補償の問題については、これから本格的な議論に入っていくだろうと答えた。
午前11時20分、園田学園女大4年の学生5人が献花台で、犠牲者の冥福を祈った。園田学園女大4年の学生の1人は事故現場から大学が近いこともあり、事故を「人ごととは思えなかった」という。「同じぐらいの年の学生の人たちが亡くなった。今日、初めて献花台に来て、思わず声が出なくなった。家族や友人を失った人たちは、考えられないくらい悲しいと思う」と話した。
2人の学生が亡くなった同志社の2年生、三宅章太さんは、同志社2年生チャペルアワーには、授業の都合でなかなか参加できず、家から近い献花台で冥福を祈った。自宅は尼崎市にあり、今日で献花台に来るのは2度目になる。「1か月経ったけど何とも言えない。事故が起こったとき、乗っている人に急いで連絡を付けた。たまたま知り合いは巻き込まれていなかった。もしかしたら自分にも、友人にも起こっていたかもしれない」と現在の思いを語った。三宅さんは、同世代が多く死んだことに対し「若くして亡くなった人の分も一生懸命生きたい」と話した。
同志社大では追悼礼拝
JR福知山線脱線事故から1ヶ月をむかえた5月25日、27人の死傷者がでた同志社では、犠牲になった3人の学生と、福島のバス事故で亡くなった学生の死を悼み、チャペルアワーが行われた。
事故に遭った学生のほとんどが通う京田辺キャンパスの祈祷会には、総長をはじめ学生ら80人が出席。牧師の遠藤勇司さんが「先に天に召された方の願い、祈りを私達がかなえましょう。いつか私達が神様のもとに行く時、亡くなられた方に逢えるよう祈りましょう」と述べると、涙を拭う学生の姿も見られた。 亡くなった榊原怜子さん(1年)の友人は、「18年しか怜ちゃんは生きていない。その中で、私達に出会った意味は何なのかを考えていました」、また「友達になって3週間でもすごく大事な友達でした。怜ちゃんのことを思いながら、怜ちゃんのぶんまで大学生活を過ごしたいです」と話した。 【5月25日 同志社PRESS=UNN】
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