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- 多くの遺族訪れる 学内慰霊碑に献花
震災から11年目を迎え、神戸大には今年も慰霊碑前に遺族が献花に訪れた。静かに手を合わせる人々の思いは変わらない。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】?
◎故・林宏典さん(当時経済・2年)と生協のアルバイトを通して仲が良かった友人は「むこう(林さん)は待っていないかもしれないけど慰霊碑にはいつも来ている」と話し、持って来た缶ビールを慰霊碑に置き静かに乾杯した。?
◎故・藤原信宏さん(当時経営・4年)の父は「毎年、この日が近づくと落ち着かない。あと何年来れるのか心配。来年が13回忌だけれど忘れようもない。生きていればもう33歳か」と息子を偲んだ。
信宏さんは「最近にめずらしいしっかりした目的を持ち努力する人」と大学の教官に評価されるような人だったという。公認会計士試験に合格したため留年する予定を卒業に変更、14日から3日間予定していた旅行を取やめ卒論を仕上げている時に震災にあったという。
藤原さんの父は大学へ来る前に下宿跡を訪れ、「今は車が4台入る駐車場になっていてすごく狭い所だった。本当だったら防犯のことを考えたりして2階に住むはずなのに。JRより上に住んでいればよかったのに。ちょっとした事が重なっていた。申し訳ない」と偶然を悔やんでいた。?
◎故・桜井英二さん(当時法・4年)のお姉さん
「もう11年もたったのかぁというのが正直な気持ち。今日のニュースや職場での反応が薄く、引いた感じがあった。忘れ去られたような雰囲気で(犠牲者の)親族としては複雑な気持ち。我々にとってこの11年というのは終わりではない。今も(弟の死を)引きずっている。(聞き語りのメンバーが慰霊祭を続けていることは)震災を忘れずに、受け継いでいってくれていることはありがたい。弟の分までという重たいことは言わないが、周りも強く生きてほしい。弟はもう戻っては来ないが、その思いをもって(皆さんには)生きていってほしい」?
◎故・坂本竜一さん(当時工・3年)のご両親
「ここは竜一のお墓ではないが、来ないと気が済まない。毎年、夏とこの時期(1月17日付近)には、ここ(神戸大六甲台キャンパス慰霊碑前)に来ている。3年くらい前に慰霊碑前にクスノキの幼木が生えていたのを2本持って帰った。枯れると良くないと2本持って帰ったが、2本とも大事に育てているため、元気に育っている。1本はお墓に供えた。値打ちのあるクスノキだ。今日は人出も少ない感じがした。(様々な活動で)震災を受けついで行くことはいいこと」?
◎故・戸梶道夫さん(営・2)、中村公治さん(営・3)、鈴木伸弘さん(工・3)の母たち
「11年たっても私たちは(震災のことを)忘れられない。日にちだけがたって、まだ本人がここにいるという感じ。ふっと帰ってきそうな気がする。今も後ろにいて守ってもらっている気持ちだ。震災のことは忘れられているのが実情。報道も少なくなってきた。孫や小さな子どものおかげで慰められるが、実際はつらい。未だに(亡くなった方が)頭から離れないが、ここには一番わかりあえる仲間がいる。また来年も前向きにがんばりたい」?
◎故・加藤貴光さん(当時法・2年)の母加藤律子さん
聞き語り調査会が毎年16日の夜から夜通し、六甲台キャンパス慰霊碑の前に竹灯籠を灯していることを聞き「知らなかった。16日の夜は東遊園地にいたけどこっちのほうがいい。来年は絶対こっちに来たい」と涙ながらに語った。また「慰霊碑の周りにベンチなどを作って、いつまでも慰霊碑を見ながらしゃべっていられたらいいね」とも話していた。?
◎献花に参加した作家の指田和子(さしだかずこ)さん
昨年『あの日を忘れない はるかのひまわり』という絵本を出した。加藤はるかちゃんは阪神・淡路大震災で亡くなった。その夏、亡くなった場所から大輪のひまわりが咲き、いつしかひまわりは復興のイメージの花になったという実話の絵本化。 「地震だけでなく命の大切さは10、20年と関係なく伝えていかなければいけない。もし遺族の方たちが辛ければ私たちが伝えていかなければいけない」と「伝える」ということの大切さを話した。?
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