北アルプスの大日岳で2000年3月、文部省(現文部科学省)登山研修所主催の冬山研修会に参加した大学生2人が死亡した事故。富山地裁が遺族への損害賠償を命じた訴訟で、被告の国は控訴した。原告のひとりで、亡くなった溝上国秀さん(当時・神戸大文2年)の母・洋子さんは、「息子も山が大好きだったので、研修はぜひ再開してほしい。そのためにも国は責任を認めてほしい」と語った。【5月14日 神戸大NEWS NET=UNN】
先月26日、原告の勝訴判決の出た大日岳遭難事故。被告の国は5月2日、研修会の講師らの過失を認めて遺族への約1億6700万円の損害賠償を命じた一審の富山地裁判決を不服として、名古屋高裁金沢支部に控訴した。?
2000年3月5日、富山県大日岳で文部省主催の登山研修が実施され、当時神戸大の学生でワンダーフォーゲル部に所属していた溝上国秀さん(当時20)と東京都立大(現首都大学東京)の内藤三恭司さん(当時22)の2人が、雪庇(せっぴ)崩落によって亡くなった。遺族らは、ルートを間違え、雪庇で休憩することを提案した引率講師に責任があるとし、国に対し損害賠償を求めて提訴していた。
先月発表された勝訴判決に対し、文部科学省は今月2日に高裁に控訴することを発表した。遺族のうち、溝上国秀さんの両親に今の気持ちについて聞いた。「(国に対しては)研修というのは参加して学ぶもの。国は参加者の安全を守る責任がある。なのに事故が起きたことについて国は責任逃れをしている」と、国秀さんの父親の不二男さんは語る。「(裁判資料の)事故調査報告書についても、専門家が見ても不自然な点が多く、国は責任意識が全くない」と肩を落とした。第一審での勝訴判決を受け、「裁判所側が国の責任を認めてくれて嬉しい」と感じたわずか6日後の控訴に、遺族らはやり切れない気持ちをあらわにした。
亡くなった国秀さんと同じ年代の学生に対しては「このような事故はいつ自分の身に降りかかるか分からない。そのためにもこの事件は風化させたくない」という。「元気なときには実感しなくても、親は子どものことを常に考えている。子どもが親より先に逝くのはとても悲しいこと」と国秀さんの母の洋子さんはあらためて生きることの大切さを強調した。
現在、文部科学省の山岳研修は実施を見送られている。「息子も山が大好きだったので、山岳研修はぜひ再開してほしい。そのためにも国は責任を認め、二度とこのような事故が起こらないよう裁判でそれを証明したい」と二審に向けての思いを明らかにした。
《主な関連ホームページ》
「大日岳遭難訴訟 署名活動」
「大日岳遭難事故を考える」
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