母への思い、歌に 六甲台に響き渡る

阪神・淡路大震災で犠牲となった加藤貴光さん(当時法・2年)が生前に母の律子さんに送った手紙が歌となった。母への感謝や大学生活を送る上での決心をつづった文章は「親愛なる母上様」と題され、1月18日に六甲台の慰霊碑前で作曲した音楽家の奥野勝利さんによって熱唱された。コンサートには律子さんも出席。学生や大学関係者などが集まった。【1月18日 神戸大NEWS NET=UNN】

 夢は国連職員。戦争に憤りを感じ、世界平和の実現を望んでいた貴光さんは志半ばで亡くなった。震災で西宮市のマンションが全壊。律子さんが到着したときはすでに息を引き取っていたという。

 貴光さんは大学の入学式直前、式に主席できない律子さんに手紙を渡していた。下宿先の見学を終え、新大阪駅から広島へ戻るときだった。息子との別れに涙を流す母に、車窓越しに貴光さんは律子さんのポケットを指さした。そこには1通の手紙が入っていた。

 「私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること……。この二十年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。そして今、私はこの翼で大空へ翔び立とうとしています。誰よりも高く、強く自在に飛べるこの翼で」。

Photo 感動のあまり、広島に到着するまで列車の中でずっと涙を流していたという律子さん。貴光さんは丑年生まれなので、友人からは「うし君」と呼ばれていた。手紙はこう締めくくられている。「翼のはえた“うし”より」。

 昨年の1月17日、奥野さんはインターネットで偶然その手紙を見つけ、胸を打たれた。衝撃的な出会いに、「いつの間にか曲ができあがっていた」。完成した曲を、自身のブログに掲載。昨年11月、律子さんもまた偶然その曲を知った。「自分の息子の手紙に勝手に曲をつけられていたから、怒りがこみ上げてきてもおかしくないのに、不思議とそんな感情は起こらなかった」。律子さんはその曲に感動。すぐに奥野さんの連絡先を探し出し、2人は何度もメールを交換した。ちょうどメールが100通目に達した今年1月2日、広島の律子さん宅で初めて対面。奥野さんは六甲台の慰霊碑前を最初とし、自身の音楽を見つめ直す旅に出ることを、律子さんはその手伝いをすることを決めた。

 13年前、貴光さんが過ごした六甲台キャンパス。この日、「うし君」の思いをのせた曲が響き渡った。律子さんがマイクを持ち、奥野さんが電子ピアノを弾きながら熱唱。集まった観客は、そっと歌に耳を傾けた。「(亡くなって)口のない人の話を伝えるのが使命」と奥野さん。律子さんは「今の私にとっては命にも等しいほど大事な彼からの手紙。今は普遍性のあるメッセージのような気がします」と話した。次のコンサートは未定だが、2人は最初の一歩を神戸大から歩み始めた。

《コンサート参加者のコメント》
●野上学長:「奥野さんの曲をインターネットで一度聴いたことがあったが、ぜひ生で聴いてみたく出席した。亡くなった学生へのご遺族の思いをもう一度確認しておきたかったのも(出席理由に)ある。いざ曲を聴いてみて、言葉では伝えきれないものがあった。歌詞がいいとかそういう問題ではない。ただ、ただ、言葉で表すことができないものがこの曲にはある」。

●震災で亡くなった競基弘さん(当時自然科学研究科博士課程・1年)の両親:「手紙は、震災の後、新聞に載っていてずっと知っていました。律子さんはとっても生き生きとしておられた。(歌を聴いて)私たちは涙を流すことしかできないので」。

●神戸大職員の瀬崎優子さん:「とても感動しています。自分に何かできることはないかと思って参加したが、今は胸がいっぱいです。お母さんとなくなった息子さんとの親子の絆の強さを知って、自分の母親を思い浮かべたし、生きる力をもらった。生き残ったお母さんにはこれからもがんばって欲しいと思う」。

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