阪神・淡路大震災から15年。毎年学生が入れ替わる大学には、震災を経験していない、覚えていないという世代が増えている。自分の「記憶」から、人から教わる「知識」へ。震災に対する意識が変わる中で、出会いを通じて立ち上がった学生らがいた。「震災を知らない。でも、伝えたい」。言葉にならない葛藤(かっとう)を抱えながら、震災と向き合おうとする学生らの姿を追った。【2月5日 神戸大NEWS NET=UNN】?
平井祥二郎さん(工・M1)は、六甲台キャンパスの慰霊碑前で竹灯ろうの柔らかなあかりを見つめながら、静かに「1.17」を迎えた。?
震災の遺族に被災時の状況を聞き、記録する「震災犠牲者聞き語り調査会」(以下調査会)に参加したのが昨年4月。調査会に入るまで、活動について詳しく知らなかったという。 佐用町出身。同じ県にいながら、「(震災は)全然身近ではなかった」と話す。だが、昨年6月。調査会が主催した、震災ドキュメントの上映会が震災と向き合うきっかけとなった。上映会後の座談会で、子どもを失った母親の話を聞いた。「遺族の方の話を初めて聞いた。一言一言、大きなものがあった」。?
1か月半後、集中豪雨が故郷を襲った。多数の死者を出し、変わり果てた町の姿。自宅に大きな被害は出なかったが、「災害について考えることが増えた」。身近な場所で起きた災害に、心を痛めた。?
「シンサイミライノハナ」の活動に誘われたのは11月。「(震災を)もっと多くの人に伝えたい」と思っていたときだった。震災への思いが書かれた花びらで花のオブジェを作り、街中に飾って多くの人に震災を知ってもらう企画。「自分の思いとシンクロした」。すぐに動き始めた。 活動をしながら、震災を伝えることに「本当に意味があるのか」と迷うこともあった。積極的に活動する学生に寄り添えない自分。しかし、「やってみないとわからない」。伝える立場で初めて迎える「1.17」が、一か月後に迫っていた。
就職活動の合間、約30人の学生らと花を作った。震災を経験していない神戸市内の小中学生に花びらを送り、メッセージを募った。合計で5000本以上の花を咲かせた。「忘れてはいけない」、「改めて感じた人のつながり」。黄色い花びらには、一人一人の思いが託されていた。
忘れられない出会いがあった。元町駅前で花を飾っていた15日、1人の男性に会った。震災で家を失い、今は路上で雑誌を売りながら生計を立てている男性だった。「今まだ(震災で)苦しんでいる人を感じた瞬間。衝撃だった」。帰り道、男性の目には涙が浮かんでいたと男性の友人から聞いた。
翌朝、同じ場所で男性に謝った。返事は意外なものだった。「いい活動しているんだから一緒にがんばろう」。男性は雑誌の売上金の一部をハイチ地震の義援金にしていた。「(男性自身が)大変なのに人のことを気にしている。かっこいいと思う。(活動して)初めてよかったと思えた」
「震災を通じてつながって、生きている存在を感じる。知らない人と話す。いい循環だと思う。(自分たちの活動が)少しずつ助けになれば」(平井さん)。人が人を思いやる気持ちに、経験の差はない。
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