【東日本大震災】陸前高田市を訪れて 上



 5月2日、UNN関西学生報道連盟代表の原田雄人(同志社・3年)と2人、新大阪から福島まで新幹線で向かった。福島駅周辺は、目立った被害は見当たらなかった。そこでレンタカーを借りる。しかし、店員と話すと、震度5強も揺れ、近くで土砂崩れがあったという。夜、岩手県の前沢サービスエリアまで行き、車中泊した。

 翌3日、津波で大きな被害を受け、1000人以上が死亡した陸前高田市へ向かう。前沢で高速道路を降り、山中を走っていると、突然がれきの荒野が眼前に現れた。車中の2人は一瞬息をのむ。建物はほとんど残っておらず、大量の材木、転倒した車などがごちゃ混ぜになって広がる。人口2万4千人の港町は、津波の圧力でミキサーにかけられてしまったようだった。どう形容しても言い尽くせないような情景に、ただただ唖然とした。

 被災から2か月弱。自衛隊などのおかげで、車両の通れる道ができていた。警察や自衛隊、ボランティアの車にまざって、我々の乗るヴィッツが走る。来るまでにさんざん自問自答した。本当に我々が行く意味があるのだろうか。被災者やボランティアの人の邪魔になるだけではないか。車の中で、頼もしそうな色をした自衛隊の車両を眺めながら、そんな問いをまた繰り返した。

 ほどなくして神戸大のボランティアが活動する小友町の小友中学校へ到着した。高台にある小友中学校も1階まで津波がきたそうだ。校舎の外観はきれいだったが、隣接する体育館の壁は突き破られており、時計は2時50分で止まっていた。校庭の隅には、貝が散乱しており、プールには木が刺さっていた。

 たまたま来ていた小友中学校の生徒と話すことができた。2年生の男子。カメラを向けると元気そうに笑ってくれた。授業は、隣接する小友小学校を借りて再開しているという。小友小学校は少し高い位置にあり、比較的被害が少なかった。彼の家は山の方にあり無事で、もう電気もきており震災前の生活が戻りつつあるという。私は思い切って「友達は大丈夫だった?」と聞いた。中学生は顔を落として、「いや、ちょっと、6人……」と言った。私はそれ以上言葉をつげなかった。小友中学校では計8人の生徒が亡くなったそうだ。不用意な自分が憎かった。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

月別アーカイブ

サークル・部活総覧

  1. 神戸大のサークル・部活のツイッター・アカウントを探せるぞっ!クリックすると、『神大PORT…
  2.  神戸大学の文化系のサークル・部活(順不同)をジャンル別にリストアップしました。情報は随…
  3. 神戸大学のスポーツ系のサークル・部活(順不同)をジャンル別にリストアップしました。情報は随…
  4. 神戸大学の医学部のサークル・部活(順不同)をジャンル別にリストアップしました。情報は随時更…
ページ上部へ戻る