作りかけの新聞が、床に散らばった部室。赤ペンを持ち活字とにらめっこしながら、私は20歳の誕生日を迎えた。連日の新聞製作で睡眠時間は不十分。渡されるのはプレゼントではなくゲラ刷りだけ。こんな誕生日になるとは思いもしなかった。
夏を彩る高校球児はいつの間にか年下に。テレビでよく見る俳優は調べてみると同い年。幼少期抱いていた20歳のイメージは、今の自分よりもずっと大人で格好良かった。こういう感情はずっと続くのだろうか。同年代の活躍をうらやみ、思い描いていた自分と現実との差を愁いながら年を重ねる。誕生日はそのやりきれない思いと改めて向き合う1日でもあるように思う。
誕生日を迎えるごとに、年を取ることに対する感情も少しずつ変わっていくだろう。大学に入学したころは、早く20歳になって大人の仲間入りをしたかった人も、卒業するころには「年なんて取りたくない」と嘆いているのでは。大学生活とは、その奇妙な折り返し地点を経験する時期なのかもしれない。
そんな大層なことを考えながら誕生日を迎えたわけだが、自立の2文字はまだ遠い。この20年間は、親に生かされていただけに過ぎない。30歳の誕生日を迎えるころには、もう少し自分の足で立てているのだろうか。
想像しても分からない。20歳になる自分の姿が想像できなかったように。今の私に分かるのは、21歳の誕生日も新聞に埋もれながら迎えるだろうということだけだ。
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