中学生の頃、所属していたバレーボール部の地区予選。練習は何となくこなすだけで、試合で負けても何も感じなかった。決勝で惜敗したチームのメンバーが止めどなく流す涙を、乾いた瞳で見つめる。自分が何かに熱中し、涙を流す姿は頭に描けない。彼女らが涙する熱量に憧れを抱いた。
「あなたの熱中していることは」。答えを見つけ出せぬまま大学生になった。面白い人がいるからと、入部したのは新聞部。
入部から2カ月経ち、学生劇団の公演を取材した。公演中に書き殴ったメモを見て、劇のワンシーンを想起する。自分の見たことを、平易な言葉で、しかし生き生きと文字に起こす。楽しいと思った。
部に深く関わるようになると、楽しい感情ばかりではなくなった。入稿前は取材で予定が埋まった。新聞が教室の床にぐしゃぐしゃになって落ちているのを見て、「自分のやっていることに意味はあるのか」と考えたこともある。
そんな中、昨年12月にアメフト部の1部リーグ昇格戦を取材した。結果は完封勝利。作った号外の、大きく踊る見出し、躍動感にあふれる写真、簡潔に事実を描写する記事。全てが「神戸大側のベンチが熱狂に包まれたあの瞬間」を伝えていた。学内で配布すると、多くの人が手に取って歓声をあげる。会場にいなかった人にも、あの感動を私たちが届けた。鳥肌が立った。
中学生の自分が問い掛ける。「涙を流すほど熱中するものは見つかりましたか」。静かな熱が頬を伝った。
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