11月9日(土)、10日(日)に開催される神戸大の第40回「六甲祭」で、神戸大メディア研は阪神・淡路大震災25年の写真パネル展とトークセッション「あの日、何があったのか」を開催する。会場は六甲台本館2階の206教室。トークセッションには、いずれも神戸大OB・OGの弁護士・津久井進さん、ニュースネット委員会初代編集長・里田明美さん、NHKアナウンサー住田功一さんを招く。
(写真:トークセッションのゲスト・津久井進弁護士=右=とコーディネイターの住田功一アナウンサー。いずれも神戸大OBだ。)
神戸大では学生39人、神戸商船大では6人が犠牲に
1995年1月17日午前5時46分すぎに発生した阪神・淡路大震災。灘区、東灘区でも多くの住宅が倒壊し、火災も発生。神戸大では39人の学生と2人の教職員、神戸商船大でも学生5人と研究員1人が亡くなった。
あれからまもなく25年。キャンパスの学生のほとんどが震災後に生まれた世代。
JR六甲道駅や阪神高速道路が被災したことを知る学生はほとんどいない。
ましてやゼミやサークルの先輩が無念の死を遂げたことも、ほとんど伝わっていない。
崩落したJR六甲道駅、焼けた下宿… 記録写真のパネル展
神戸大メディア研は、六甲祭の屋内企画で、「阪神・淡路大震災25年?あの日、何があったのか」をテーマに写真パネル展とトークセッションを開催する。
会場では、崩落したJR六甲道駅、深江で倒壊した阪神高速道路神戸線の高架、焼け落ちた下宿アパートなどの記録写真とともに、亡くなった神戸大の学生の遺族からのメッセージをパネル展示する。
立ち上がるボランティア、学内の震災報道 トークセッションで証言
また、10日(日)の13時からは、日弁連の災害復興支援委員会委員長を務める弁護士の津久井進さん(1993年・法卒)、15時からは中国新聞地域ビジネス局の里田明美さん(1996年・自然科学研究科修了)を招いてトークセッションを行う。
津久井さんは震災発生時、司法修習生だった。東京から実家のある神戸に駆けつけて、神戸大学の学生震災救援隊に加わりボランティアとして活動を始めた。神戸大周辺はどのような状況だったのか、そこでボランティア活動はどのように芽生えたのか。神戸大でボランティア団体はどのようにして立ち上げられたのか。ボランティ元年と言われた阪神・淡路大震災について、神戸大の視点から語ってもらう。
里田さんは当時、自然科学研究科の修士1年。放送委員会の報道部門にいたが、ニュースネット委員会を独立させて初代の編集長についた。学内紙『NEWS NET』を創刊し、震災報道を開始し、震災1年の特集号には学生、教員、生協職員44人への追悼手記を掲載した。今回は、地震発生直後の学内、下宿街の様子を語る。
コーディネイターを務める住田さん(1983年・営卒)は、当時『おはよう日本』のアナウンサーだった。たまたま休暇で実家のある神戸に帰省していて、灘区内で被災。実家からの電話リポートが、同局の神戸からの第一報となった。元気なはずの大学生が数多く犠牲になったことに大きなショックを受けたという。「おふたりのお話から、神戸大は震災にどう向き合ったのかを浮き彫りにしたい」という。
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神戸大メディア研は、来年1月17日の阪神・淡路大震災25年にむけて、「あの日、何があったのか」をテーマに、ブログやツイッターで記事。多くの学生や教職員に、<震災体験>を発信していきます。
《阪神・淡路大震災25年「あの日、何があったのか」》
●場所=神戸大六甲台第1キャンパス 六甲台本館2階206教室(神戸市灘区六甲台町)
●主催=
神戸大メディア研
●後援=
神戸大学学生震災救援隊
神戸大学ニュースネット委員会
神戸大学東北ボランティアバスプロジェクト
神戸大学持続可能災害支援プロジェクト Konti
灘地域活動センター(N.A.C.)
了
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