- Home
- コラム, ニュース, 文化・社会ニュース, 阪神・淡路大震災
- 【慰霊碑の向こうに】? 故・高橋幹弥さん(当時理学部2年) =父・昭憲さんの証言=
高橋幹弥さん(当時20歳、大阪府立高津高卒、理学部化学科、イベント同好会ラ・プレーリー)は、神戸市東灘区住吉南町5?8?24のサニーハイム2階J号室に下宿していた。
1995年1月17日の午前5時46分。地震発生。実家のある東大阪市でも大きな揺れを感じたという。何度電話をかけても、話中音のような音がするばかりで通じないため、心配した父・昭憲さんと母・一子(かずこ)さんは、自宅から車で神戸に向かった。
しかしその日は、交通渋滞に巻き込まれやむなく引き返す。翌18日に再度出発、国道2号は渋滞で、42号にまわって6時間かけて19日未明、神戸にたどり着いた。
夜が明けて見えてきたのは、路地を挟んだ隣の銭湯の煉瓦造りの煙突が崩れ落ち、幹弥さんの部屋が押しつぶされている現場だった。
父・昭憲さんに東大阪市内でお話をうかがった。
(写真:現場から見つかったカメラに残っていた、幹弥さんの最後の写真。震災2日前の成人式のあと、東大阪市内のカラオケ店で友人が撮影したと思われる。1995年1月15日撮影。)
銭湯の煙突が崩れてきて、うちの子の部屋だけが…
父:一番端の部屋だけが、煉瓦造りの煙突が崩れてきて、ちょうどうちの子が住んどる部屋だけが、ぶすんと切れるように。一部屋分だけ下まで(潰れて)。一階の人は留守やったから。
きき手:これが現場の写真ですか。
父:葬儀のときに遺影を撮る写真家がおって、跡地に行って撮ってくれた。寺岡(房雄)さん、奈良の方の人で。ちょっと行ってきますわゆうて撮りにいってくれて。(写真を見ながら)路地を挟んで隣に銭湯があって、その煉瓦の煙突が崩れてきた。下の方は二段積みしてあって、上の方は一段ちゃうかな。根元から折れてるから。2階の屋根が全然なくなってるでしょ。(煙突に潰されて)下へどんとおちて。路地は人がすれ違えるぐらいの幅やった。
父:1階の人はおらんかったから(17日は不在だったから)助かってる。広島に行ってたとかなんかゆうとったけど。
きき手:1階のその人は学生さんですか?
父:それはちょっとわからへんのやけど、たぶん学生やと思うけどなあ。
(写真:銭湯の煙突に押しつぶされた幹也さんの部屋。切断されたように、アパートの断面が見えている。1995年1月、寺岡房雄さん撮影。)
父:神戸大の学生がちょうど抜けた後やったから(転居したあとだったから)、すぐしゃしゃっとアパートの契約の手続きをした。
きき手:つまりこの部屋がすぐあいてて、すぐ入居できる状態だったということですね。
父:タイミングが良かった。一番端やし。
きき手:幹也さんは、はちょうど良い物件だと入ったんですね。
父:そうそう。不動産屋へ行って契約させられたわ。そんで上新電機に行って、こたつがいるわ、ワープロいるわ、二合炊きの炊飯器いるわとかいうて…。
きき手:いつ頃引っ越されたんですか
父:後期試験で通った(合格した)から。おんなじとこ(理学部化学科)もう一回受けてん。
最初はね、通ってた。何ヶ月間か。(実家のある東大阪から神戸まで)2時間以上かかんねん、そやから勉強できひん、ちゅうわけや。そない言われたら、親としてはしゃあないでしょう。アルバイトもするとか何とか。
きき手:お金は自分でも補填するから下宿させてほしいと。
父:それでも家賃がここ5万なんぼでしょ、うまいこと家庭教師の仕事見つけて。
悔やまれるンはやっぱりね…。やっぱコレ(煙突)が倒れるとまでは思わなかったですね。木造で、四畳半と六畳くらいかな、キッチンが、そんで一応風呂とトイレがついた間取りで。けっこう友達も来てたらしいから。
下宿跡から見つかったカメラ 現像すると亡くなる2日前の成人式の写真が
父:(震災から)1週間目ぐらいにね、共同通信の記者がうちに来て、それでまあいろいろ話しとって。
49日過ぎてからやないと、現場に行かん方がええとみんな言うんで(私は行かなかったけど)、その共同通信の人がね、ちょっと見てきてもいいですかというもんですから。現場を。そんでそこでカメラを拾うてきて、あのその後焼いたプリントを持ってきてくれて。
きき手:カメラに入っていたわけですね、フィルムが。
父:そう。そんで、これが写ってた。
きき手:四十九日までは、現場に出向かれなかったわけですよねお父さんは。
父:そうです。押し入れだけ(煙突に潰されずに)残っとったんでね。弟(下の息子)と(現場に)取りに行ったんや。服とか、あとワープロとかが、煙突の下にあった。
父:これは、(潰れた部屋から)拾ってきた中にあった高校(大阪府立高津高校)の卒業名簿。
それとこれ(1万円札)は、引き出しかどっかに貼っとけってゆうとったんや。コレがピラーと落ちとったんや。不思議やね。
きき手:一人暮らしでお金がピンチになったときのために…。
父:やっぱちょっといるでしょ、一人で住んどるんやから。一応使わんと(手元に)とってあるけど。
きき手:これはお参りに来て下さった人のお名前ですか。
父:28人ね。2人亡くなっているのよ、ここのクラス(理学部化学科)の中で。そやから28人やってん。(もう一人は梶達雄さん=石川県立泉丘高校出身、当時理学部2年。)
父:(震災から)3ヶ月ぐらいして、(大学が)白衣を送ってくれたんですわ。整理したら名前が書いてあるから返しますわゆうて。
きき手:つまり、理学部の白衣を。
父:名前書いてあるのは少ないらしいんよ、でもうちの子は書いとったから
父:最初、東住吉区の桑津におって桑津小学校3年か4年の時に東大阪の岩田西小へ移ったんよ。(編集部注:そのあと、玉川中学校、高津高校に進学)
きき手:このころから科学が好きになったんですかね
父:藤原塾いう塾があって、そこの先生が、空を見たりするんが好きで、夏は小豆島に勉強会いうて海に遊びに行ったり、そうゆう塾に行っとったから。
(写真:インタビューにこたえる高橋幹也さんの父・昭憲さん。)
煙突が折れへんかったら、助かってた
きき手:1月17日の朝は?
父:家におったんですよ、東大阪の今の家におって。
最初どーんですよ。それから、ぐらぐらぐらぐらぐらとして立たれへんような状況でしたよ。それでテレビつけまして、神戸に被害があったいうことで。やっぱり(息子が)神戸におるんで、電話せなあかん言うことで電話したんですけど、もう2時間、3時間ぐらい電話しても通じない。
ツーツーみたいな音です。つながってない言うことですよ。ほいで、結局最終的に田舎(四国の徳島)のほうからも電話かかってきたりしてね、
きき手:お母様の方の実家ですよね
父:やっぱ見にいかなあかんで、ゆうて。結局でも夕方てゆうか晩飯食べてから車で、うちの家内と出かけたんやけど。
きき手:つまり17日の夕食を食べたあと。
父:結局尼崎まで行くのに2時間以上かかったでしょうね。尼崎の川超える手前の辺で動けへんねん車が。ずーっと車がつながってるから動けへん。信号が何回変わっても。で、反対車線はとっとことっとこ走っとるわけや。ほんでこれはもう朝までなっても動けへんな、思ってこれはしゃあない。1時くらいやったんちゃいますかね、帰ろう言うて帰って。
次の18日は覚悟して自転車も車に積んで神戸に向かった
父:しゃあない次の日は覚悟して 行くつもりで自転車も車に積んで、ちょっと大きいファーゴゆう車でしたからね。自転車とか毛布とか水とか、まあ一応積んで、もし車が行かれへんかったら自転車で行こうゆうて。まあ結局尼崎のとこで時間かかりますねん。おんなじようにね、そやけどそこから、43号線やったかな。2号線から42号線出る、橋渡ったところを左に曲がったら走れて。段差が多少あるところもあったけど、ぽちょんとたおれてるところとかね、でもゆっくりでも一応ざーっと行って。向こう着いたのが、何時か忘れたけど夜中ですよね、夜出てるからね。19日の朝くらいに現場についたんですわ。
きき手:現場ということは東灘区住吉南町の下宿アパートですね。
父:そこの家主さんがですね、ぼーっとしばらく見て、おらんようになったいうのは聞いたけどね。
きき手:呆然とされていたわけですね、
父:ほんまはそれ聞きたかったんやけども。
きき手:聞きたかったというのは何を聞きたかったのですか。
父:いやそのときに人がおるか、おらんかね。つぶれてんねんやから
きき手:そこで助けを求めてる人がいるんじゃないかという行動を、なぜしなかったのかということですね?
父:してくれたらね、まだちょっとね、人がよってくる可能性(救助活動が始まる可能性)もあるんちゃうかなとは思います。要するに煙突が折れへんかったら、助かってたわけですわ。他の人は誰も亡くなってない。煙突が折れたから、うちの子は亡くなったわけや。でもここの風呂屋のおっちゃんもまあ地震が起きるとは思ってなかったんちゃう。
最初は、どこか避難所にいてるんちゃうかな思ってた
父:この反対側が道路ですねん。(アパートの見取り図を書きながら)廊下挟んで、5つか6つくらいあるんかな。
きき手:部屋が。
父:ほいでうちの子はここ一番奥の角部屋で。
父:(現場に19日の早朝着いて)階段上がって一番奥に行ってもね、おかしいな、ごっそりないし。奥になんもないんよね。
きき手:あるべき(幹也さんの)部屋がなかったわけですね。
父:んで、どこか避難所にいてるんちゃうかな思って。ここの近くの避難所へ、どこか忘れたけど小学校かどっか、1、2か所ぐらい回ったかな。まあ避難所におったら家に連絡してるわね、普通ね。
近所の小林さんが4、5人呼んでくれて、掘ってくれたんや
父:結局夜明けとともにいろいろ見えるようになってから、今度は反対の方から回ってこっち見にいったんすよ。
きき手:つまり裏側を、部屋に近い方から見たわけですね。
父:歩いて見に行ったらぐしゃーとこれが、この写真のような状況やった。
父:(近所の小林春吉商店の)小林さんとかが話しかけてきて、「うちの子ここでおったんや、でもつぶれてるんで」ってゆうて話したら、小林さんのおばちゃんが、がーっと声かけてくれて、4、5人呼んでくれたんや。ほんで、掘ってくれたんや。うちの子が埋まってるかもわかれへん…。九分九厘無理やろな思って…。
父:ある程度道具とか持ってきてくれたんや。ちょっと遠くから見とったけどね、ほんなら、見つかったゆうことで…。
きき手:それは小林さんとかが声をかけて集まってきてくれた人が見つけた?
父:そうです。最初にね。
きき手:それはご近所の方ですか。
父:直接(このアパアートとは)関係のない人ですよ。ここらへん近くで住んではる人やったわ。
検視の医師が、「圧死」とだけ書いた
きき手:それで消防はすぐに来た?
父:多少時間あったと思う。
父:生きてるかわからへんゆうたら早くきよるんよ。搬出したとき、足だけちらっと見えてて顔は見せてくれんかったんすよ。足だけ見てああ、幹也やなって。ここのすねとすねの毛だけ見て、本人やなって。
向こう(消防)も、亡くなってますよという言い方はしいひんかった。救急車にのせて。
きき手:それでどこへ。
父:結局は生協(コープこうべ)の体育館。2号線沿いの。体育館にこう並べられて。すぐに連れて帰ったりとかはできないんですよ。検視が終わらんと、動かされへんから。結局は検死が、いつやったかな。
父:こっちはもうあきらめてたけど。その日はもう待っとっても検視が出来るような状態やないから、帰っとるんやろうね。
きき手:東大阪に
父:うん。それで田舎にも電話して。こんなんこんなんや言うて。そんなことないやろゆうたけど、結局なんかもう葬式の用意せなしゃあないしね。
父:それでね、その日その日は帰ったんですよね、たぶんね。19日の昼でしょ。
父:結局、検視が終わりましたゆうのを連絡をくれたおもいますわ。葬儀屋にゆうて、棺桶を車に積んで。家内の兄貴と2人で。夜11時ぐらいかな、今のコープの体育館みたいなとこに引き取りに行ったんですよ。神戸大学の医学部の検視してくれた医師が、「圧死」とだけ書いてた。
顔を確認したら、まぶたの横に涙が一滴あった
きき手:それが20日の夜中ですかね。
父:そうですね。結局連れて帰るときは顔を見ました。間違いがあったらあかんから。足だけじゃあかんもんね。寝てんのに、ぽこっと涙が一滴、(まぶたの横に)あんねん。死体やのにね、死んでんのにあけてみたら涙が一滴あんねん。まあそれでこう本人まちがいないな思って閉めて…。
きき手:よく棺や自動車の手配がつきましたね。
父:うちは東大阪やから。そんなに(亡くなった人が)おれへんからうまいこといけたんや。もっと神戸に近いと、てんやわんややったんちゃうかなと思いますよ。ファーゴゆうてワンボックスのけっこう大きな車やったからね。2メーターでもしゃっと乗るやつやったから。結局180センチ超えくらい(棺桶の長さが)あったからね。
子どもの火葬には親が行ったらあかんと言われて
きき手:そのあとはお通夜、お葬式になるんですかね。
父:そうですね、お通夜は町内会でゆうたもんですから、ここの縛りがあるのよね、(段取りが)分からんことばっかりでしたね。4日ぐらいほとんど寝なかったね。
きき手:検視では圧死って書いてあったわけですよね
父:そうです。要するに屋根があって、梁があって、天井があるでしょ。それが上からのしかかるようなかんじですわね。そやから、頭部、いや顔にはそんなに傷はなかったですからね。そやから胸部しかないとおもいますけどね。圧死って書いてました。
きき手:お通夜やお葬式にはどんな方がお見えになりましたか
父:お通夜…大学生と高校の友人でしょ。あと小学、中学の同級生とか。結局ぼくわかりませんねん。中学時代は軟式のテニス部とか、来てくれてんねんな思っただけで。大学の子らは全然わからんですわね、面識もないし。名刺交換かなんかあったらまだわかるけど。この人誰やろないう感じですわ。そこらへんはちょっと寂しいよね、親としては。
連絡先わからへんからこっちから連絡できないんですよ。公民館で何日にするいうのは言うてないんですよ。それやのに、(友人関係が)わーっと(大勢来て)座ってくれてんのよね。
きき手:同級生の若い人がたくさん葬儀に来てくれたんですね。
父:あと焼きに行く(焼き場に行く)のに、子どもの場合は親が行ったらあかんいうて。そやから弟が一人と、大学か高校の友人20人ぐらいがバスに乗って行ってくれました。
きき手:幹也さんの弟さんが行かれた…。
父:そうですね。
現場から出してくれてるとき、一番辛かったね
きき手:神戸大学はストレートですか?
父:後期で通ってるから、でもストレート。鳶が鷹を生んだいう感じでしたよ。
きき手:なかなかストレートって言うのはね、親孝行ですよね
父:高津高校の時は軟式テニスにはいってたから、中学はバスケットやってた。たぶん正選手はなってないけど。中学か高校の時に書記やってたいうてたけど、だから字は上手やったんよね。いやきれいじゃないけど誰が見ても分かる字というか。
きき手:前々日ですか、カラオケの写真。
父:そうですね、1月15日に東大阪に帰って成人式に出た。そこで友達に会うたりしてると思う。
きき手:中学校の地区のお友達とカラオケに行ったのがこの写真だと?
父:そうです。うちの子が写ってるのは2枚だけやったから、あとはどっかいってしまった。
きき手:幹也さんが突然そういう状況になったって言うのは、お父さんもお母さんもしんどかったですよね
父:うん、ショックやね。まあ、あの(倒壊)現場から出してくれてるときやね。出してくれてるとき、一番辛かったね。それすぎたら、葬式をなんとかやらないかんし、親とかの連絡してあれせなあかんから、悩んでる間あれへんから。
きき手:おばあちゃんは悲しまれたでしょうね。
父:両方母親の里で生んでるから。
きき手:徳島で里帰り出産だったのですね。
下宿は住む前に下見をして決めた方がいい
きき手:震災を知らない学生達にメッセージはありますか?
父:そやから、やっぱり地震対策してるような建物に住まないと。うちの子は煙突が倒れて亡くなったんやけど、となりの部屋は助かってるわけやから。うちの子がなくなったんと隣の子が助かっとるんと差がね、差があるわけよ。住む前にね、下見をして決めた方がいいんちゃうと思いますね。
父:やっぱり煙突の話なんやけど、区役所で法律相談があって相談に行ったんやけど…。
きき手:つまり、何らかの責任があるんやないかっていうことですか。
父:そやけどうちの田舎の親戚が、そんなのやめときって。どういう意味でいってはったんかしらんけどね、それでもうやめたんや。
きき手:すっきりしないですよね。煙突が倒れてこなければ被害がなかった。
父:そうですよね。でも、阪神高速の柱が折れてんねやで、煙突のもっと細っこい柱が折れて当たり前ちゃうの、みたいなことになる可能性もまあ、言う人もおるでしょ。生き返ることがあったら別ですけど、生き返らんからねぇ。
(2019年10月22日インタビュー、きき手:小野花菜子、中島星翔)
了
<2019年12月13日アップロード>
《連載記事》
【慰霊碑の向こうに】? 一枚の写真から
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b81d5f93f24d4db312586b32da0838da
【慰霊碑の向こうに】? 故・戸梶道夫さん(当時経営学部2年)
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/023b839a782ed062de6f26d1d5f0919b
【慰霊碑の向こうに】? 故・高橋幹弥さん(当時理学部2年)
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/7165089761eef41f45c9d3eae84c1870
【慰霊碑の向こうに】? 故・高見秀樹さん(当時経済学部3年)
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/eb2e066042bfb01d561385907b64f44a
【慰霊碑の向こうに】? 故・坂本竜一さん(当時工学部3年)
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/5c9a8898fafde156a8091d6fac45d615
【慰霊碑の向こうに】? 故・中村公治さん(当時経営学部3年)
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/a65c964c3ba5baa556ab126cf22dc1f1
【慰霊碑の向こうに】? 故・森 渉さん(当時法学部4年)
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/51f49f1abe823bdfa978ca6c6addd922
【慰霊碑の向こうに】? 故・竸基弘さん(当時自然科学研究科博士前期課程1年)
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/bbbdb927d2917cdde7834b73e8dfd2b4
【慰霊碑の向こうに】? 【慰霊碑の向こうに】? 故・白木健介さん(当時経済学部?課程3年)
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/5cf5033cc4e75acb06952295dad255aa
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。