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- あの日から25年 六甲台・深江の慰霊碑前で献花式
1995年の阪神・淡路大震災発生から25年が経った。神戸大六甲台第1キャンパスと深江キャンパスにある犠牲者慰霊碑の前では、1月17日12時30分から献花式が行われた。節目の年を迎えるこの日、教職員、犠牲者の遺族や友人ら、そして現役の学生など約230人が参列。それぞれの思いを寄せていた。<震災25年取材班>
阪神・淡路大震災で、神戸大学では学生39人(うち留学生7人)、職員2人の計41人が犠牲となり、神戸商船大学(現海事科学部)では、学生5人(うち留学生1人)、研究員1人のあわせて6人が犠牲となった。
六甲台第1キャンパスの慰霊碑には、亡くなった41人の名前が刻まれている。数日前からすでに、ここに花を手向けに来る人々の姿があった。
1月17日は朝9時ごろから会場の準備が始まっていた。12時半からの式典では、黙祷のあと今年は混声合唱団エルデが「しあわせ運べるように」の合唱を献歌。
(写真=混声合唱団エルデが「しあわせ運べるように」を献歌した。撮影=神戸大メディア研)
【動画】神戸大で震災犠牲者の献花式 混声合唱団エルデの献歌 https://youtu.be/oIfTyJkEi9U
続いて、武田廣学長が、追悼の言葉を述べ、神戸大が被災大学としての自覚を持ち、これまで災害科学研究を推進し震災復興災害活動を継続的に行ってきたことについて触れたうえで、今後に向けて次世代を担う学生達に震災の記憶を伝え続けると決意を述べた。
(【関連記事】「武田学長『追悼の言葉』全文」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/3361dac3679da230f543d3888cf64ba2)
(写真=追悼の言葉を述べる武田廣・神戸大学長。撮影=神戸大メディア研)
【動画】神戸大で震災犠牲者の献花式 武田学長の追悼の言葉<前半> https://youtu.be/67mz17oR_oU
【動画】神戸大で震災犠牲者の献花式 武田学長の追悼の言葉<後半> https://youtu.be/iUDrWDmzBzQ
参列者は、一人一人白菊を持ち、武田廣学長に続つづいて慰霊碑に花を手向けた。
神戸大総務課のまとめでは、この日の参列者は例年より多い約230人。うち、遺族30人、学生・教職員200人。献花は13時をまわっても続いた。
(写真=献花する武田学長。撮影=長谷川雅也)
昨年は見られなかった現役の神戸大生の姿が、今年はあった。約40人もの学生が、慰霊碑に足を運んだ。
軟式野球部に所属していた下井拓己さん(法・4年)と藤岡真菜さん(医・保健4年)は、メディア研の告知で献花式のことを知り、初めて来場したという。
同じ軟式野球部に所属していた息子の鈴木伸弘さん(当時22、工・3年)をなくした母・綾子さんは、「後輩の学生たちが献花式に来てくれてうれしい」と笑顔で話した。
(【関連記事】「現役学生約40人が参列 若い世代が加わった今年の献花式」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/5e0214ef8fa59fe9ff8ff1f43e5ed51e )
(写真=献花式にはこれまでにない数の参列者が訪れ、慰霊碑の周りを囲んでいた。撮影=小野花菜子)
武田廣学長は、メディア研の取材に、「自然災害の多い日本で、国立大学として震災を忘れずに、防災に取り組むことは重要。研究機関として、教育機関として、地震などの問題にこれからも取り組んでいきたい。また、神戸大生に、自分の大学の学生が多く亡くなったということは今後も伝えていかないといけない」と答えた。さらに、震災を経験していない現役の学生に対して、「いつ、なんどき何が起こるか分からない。(地震など)何かあった時のために普段から備えてほしい」と話した。
(写真=献花式を終え、メディア研の取材に答える武田学長。2020年1月17日13時8分、六甲台慰霊碑前で。撮影=神戸大メディア研)
慰霊碑を訪れた木村幹・国際協力研究科教授の話
▽どうして今日ここに来ようと思ったのか。
「留学生に対して震災のことを教えていて、普段から震災に関心があるから」。
▽阪神・淡路大震災から25年、どのような想いか。
「学生と話していて、兵庫県育ちの人でも今日が何の日か知らない人がいることに衝撃を受けた。『そういえば今日は震災の日か…』っていうくらいの認識の人も多い。だからこそ、神戸大の献花式で(震災の事実を)伝えるのは重要。国際的にも、外国人、留学生に震災のことを伝えるという目的もある。25年たつと震災は教科書に出てくるような過去のこととして捉えられ、神戸大ですら忘れ去られる」。
▽今の大学生にどう震災を伝えればよいか。
「知らない人にどう伝えるかは知っている人の実力の部分もある。大学生は震災を忘れているという事実を見据えたうえで、『今日は追悼の日で、同じ大学の学生が亡くなったことに思いを馳せよう』と大学生に思わせることが、震災を学生に伝える際に重要だと思う」。
▽学生が学生に震災を伝えていくことについてどう思うか。
「自分自身が経験していないことを伝えるのは難しい。伝える際には学生に想像力をもってもらうことが大事。自分が当時亡くなられた方、友をなくした方と同じ立場だったらどうだろう、という風に考えてもらえば、学生に震災を自分事として捉えてもらえるのではないか」。
(写真=献花式を前にメディア研の取材に答える木村幹教授。2020年1月17日11時29分、六甲台本館前で。撮影=神戸大メディア研)
献花式に参加した応援団の宮脇健也さん(営・4年)の話
「応援団の現役代表として、部員にも声をかけて集まった。(震災で亡くなった応援団第35代の)高見団長にご挨拶のような気持ちで参加した。慰霊碑に来たのは初めて」。
「去年来られなくて後悔した。1年生にも伝えたいと思った。現役の学部生は震災を知らない。今まで自分も震災に対して現実味を感じてはなかったが、応援団で亡くなった方の同期の方も来られていて、僕たちと同じような年代の人が亡くなったことを初めて知り、実感した」。
都築和子さん(55、亡くなった神戸大生・櫻井英二さんの姉)の話
「17日は毎年来ている。私の中ではまだ時間が止まったまま。毎年JR六甲道から歩いてくる道中、心の中で弟に話しかけるようにしているが、やっぱり悲しい。弟は六甲道の近くに住んでいたが、数日前にも私の家に来ており、もしその時泊まっていたらとか、時期があと3ヶ月ずれていたら就職して下宿を出ているのに、など、考えても仕方がないがやっぱり悔しい。」
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神戸商船大(現・神戸大海事科学部)の震災犠牲者慰霊碑がある深江キャンパスでも、1月17日12時30分から追悼の献花式が行われた。
(写真=旧・神戸商船大の門柱のレプリカ。上部と下部の色の違う石は、阪神・淡路大震災で倒壊した当時の門柱に使われていたもの。2020年1月17日11時ころ、神戸大深江キャンパスで。撮影=玉井晃平)
1月17日11時ごろから式典の準備が始まっていた。ここは人目につきづらい奥まったところにあるためか、式典前に訪れる人の姿はなかった。例年、遺族が式典に来ることはほぼないという。
12時半からの式典では、内田誠・海事科学研究科長をはじめ大学の教職員ら、学生自治会の代表らなど約50人が集まった。
1分間の黙祷のあと、内田研究科長らがひとりひとり、亡くなった6人の名前が刻まれている慰霊碑に花を捧げていた。
(写真=献花後、黙祷する内田誠・海事科学研究科長。撮影=玉井晃平)
内田誠・海事科学研究科長の話
「(阪神・淡路大震災のような大きな被害は)二度とあってはならないことだ。しかし、例えば近い将来の発生が予測される東海・東南海地震やその津波など、自然災害は避けられない。ハザードマップではここ(深江キャンパス)も備えが必要だ。守るべきものには敷地内の資産や学術資料などももちろんあるが、何よりまずは人命優先だ。阪神・淡路大震災で旧・神戸商船大学の学生と研究員が6人、職員なども含めて合計12人が犠牲になった。ずっと記憶に留めていく」。
献花に訪れた桜井加津子さん(51、神戸市在住)の話
「帆船が好きで、92年に研修生として『海王丸』に乗った。その時(当時の)神戸商船大学生らと交流があった。震災の時は長野にいて被害を受けなかった。この日(1月17日)に慰霊碑を訪ねたのは初めて。25年の節目であることと、昨年、もう一度『海王丸』に乗ったことがきっかけになった。(この日)この場所にいたいと思い慰霊碑に来た。朝5時46分は東遊園地に行ってきた」。
「娘は海事科学部に在学していて今年20歳。これからも帆船や実習生を応援していきたい。震災を知らない世代の人たちも、ぜひ(震災のことを)知っていってほしい」。
<震災25年取材班=森岡聖陽、玉井晃平、長谷川雅也、小野花菜子、中島星翔、綿貫由希、渡邊志保、山本慶典、中村成吾、坂本聡、三谷光市、津田友弘>
(1月17日17時36分 アップロード、21日9時50分更新)
【訂正】今年の献花式で合唱を披露した団体は「混声合唱団アポロン」ではなく「混声合唱団エルデ」でした。お詫びして訂正いたします。(2020年1月18日10時25分 編集部)
了
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COMMENT:
AUTHOR: やすみ
URL:
DATE: 01/17/2020 19:32:55
Unknown
私は東京に住んでいますが、メディア研の記事が産経新聞に掲載されていたので、ここにたどり着きました。
震災を知らない若い世代のみなさんが、震災を忘れないように動いてくれてるのは有難いですね。
このブログ読みましたが、25年経って親になった今読みますと涙なしでは読むことができませんでした。子供を亡くすというのはこの世で一番辛いことだと思います。
25年も経てば風化が進みます。これからも活動を続けていただき、次世代に引き継いで欲しいです。
亡くなった39人の学生の1人が兄の友人でした。毎年1月17日はその人を思い出します。この先ずっと忘れることはありません。
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