「神戸大学のキャンパスの名前がようわからん」との新入生のつぶやきがツイッターでありました。『神大PORTAL』編集部が簡単に説明しましょう。
大きく分けて「六甲台(ろっこうだい)」、「深江(ふかえ)」、「楠(くすのき)」、「名谷(みょうだに)」の4地区あります。さらに六甲台地区には、「鶴甲(つるかぶと)第1」、「鶴甲第2」、「六甲台第1」、「六甲台第2」の4つのキャンパスがあります。
(画像:神戸大の4地区の配置図。神戸大サイトから)
学内では、「コクブン(旧国際文化学部のあった鶴甲第1キャンパス)」、「カイジ(海洋政策科学部の旧称の海事科学部)」、「医学部(楠キャンパスのこと)」、「保健学科(名谷キャンパスのこと)」などみんな好き勝手に呼んでいますが、正式な解説は次のようになります。
▽六甲台地区(神戸市灘区六甲台町と神戸市灘区鶴甲にまたがる)
鶴甲第1キャンパス…………国際人間科学部(グローバル文化学科)、、国際教養教育院<1年生を中心に教養科目を受け持つ>
鶴甲第2キャンパス…………国際人間科学部(発達コミュニティ学科、環境共生学科、子ども教育学科)
六甲台第1キャンパス…………経済・経営・法学部
六甲台第2キャンパス…………本部、文・理・農・工学部、馬場
▽深江キャンパス(東灘区深江南町)……海洋政策科学部、海事科学部
▽楠キャンパス(中央区楠町)………医学部医学科、附属病院
▽名谷キャンパス(須磨区友が丘)……医学部保健学科
さらに、六甲台地区は4つに分かれています。六甲山の斜面に、ひな壇のように4段あるからです。これがややこしい。
【最上段】山側の団地に立つ 鶴甲第2キャンパス (https://www.kobe-u.ac.jp/guid/access/rokko/turukabuto-dai2.html)
【3段目】階段状の学生会館のさらに上 六甲台第1キャンパス(https://www.kobe-u.ac.jp/guid/access/rokko/rokkodai-dai1.html)
【2段目】馬場のある段 六甲台第2キャンパス (https://www.kobe-u.ac.jp/guid/access/rokko/rokkodai-dai2.html)
【最下段】いつもの 鶴甲第1キャンパス (https://www.kobe-u.ac.jp/guid/access/rokko/turukabuto-dai1.html)
なぜ上から順番(or下から順番)に番号がつかないのか? それは開発された順番にナンバーをつけたからです(と、推察されます)。
六甲台地区は山を削って開発されたのですが、時系列で並べるとこうなります。
【六甲台第1キャンパス】1935年(昭和10年)に、中央区上筒井から経済・経営・法学部の前身の神戸商業大学がここに移転してきた。ここが六甲台地区の核になっていった。
【六甲台第2キャンパス】戦後、進駐軍(占領軍)の高級将校の住宅地「六甲ハイツ」として開発されていた南側の台地が返還され、神戸大学の用地となります。そして、1962年(昭和37年)には工学部も長田区から移転、1964年(昭和39年)に文学部と理学部が移ってきました。1967年(昭和42年)には農学部も丹波篠山市から移転を完了して、校舎が次々に建てられました。
【鶴甲第1キャンパス】1963年(昭和38年)に、六甲山地の鶴甲山(つるかぶとやま)を削ったその裾野に教養部(のちの国際文化学部、いまの国際人間科学部)が新設され校舎が建ちました。
【鶴甲第2キャンパス】1968年(昭和43年)に、鶴甲団地の開発でできた場所に教育学部(のちの発達科学部、いまの国際人間科学部)が東灘区から移ってきました。
どうですか? 説明すればするほど、わからんようになりましたでしょ?
1年生のうちは、主に授業を受ける鶴甲第1キャンパスの「ツルイチ」を中心に、経済・経営・法学部は「六甲台」、国際人間科学部(発達コミュニティ学科、環境共生学科、子ども教育学科)のある「鶴甲第2キャンパス」を「ツルニ」、あとは学部名を言えば、だいたいこと足りるでしょう。
ちなみに、阪急六甲やJR六甲道方向に坂を下っていくことを、俗に「下に降りる」といいます。
この最後の数行だけ覚えておけばいいと思います。
【リンク】神戸大キャンパスマップ
https://www.kobe-u.ac.jp/guid/access/index.html (神戸大公式サイト)
(写真下:1935年<昭和10年>に六甲台に移転した直後の神戸商業大。神戸大学100年史から。)
(写真下:市街地から見た神戸大学六甲台地区の学舎群。東灘区JR住吉駅付近から望む。)
了
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