大学紛争で卒業式が行われなかった1970年春の卒業生が集い、コロナウイルスの影響で延期になっていた『卒業 “50周年”記念 全学同窓会』が10月30日、出光佐三記念六甲台講堂で行われた。大学文書史料室の野邑(のむら)理栄子さんが講演し、当時卒業式が行われなかった背景を説明した。<OB取材班>
大学紛争で卒業式が行われなかった1970年春の卒業生が集い、『卒業 “50周年”記念 全学同窓会』が10月30日、出光佐三記念六甲台講堂で行われた。秋晴れのもとで、当時の8学部のOB・OG約100人がキャンパスで旧交を温めた。
(写真: 50周年記念卒業式 講堂外観 2022年10月30日午後、六甲台講堂で)
(写真: 記念撮影をする1970年春の卒業生)
1960年代末に起きた神戸大紛争は、文部省(現文部科学省)が学生寮の光熱費などの学生負担を通達し、大学がそれに応じたことがきっかけだった。1968年(昭和43年)の暮れから激しい紛争が広がり、1969年には医学部以外の全学部で、学舎の占拠や封鎖が広がり神戸大は一時授業が一切行えない状態に陥った。
1969年8月7日、戸田義郎・学長事務取扱(当時)による封鎖解除通告が行われ、翌8日機動隊が見守る中で封鎖解除が行われた。この影響で、1969年と1970年3月に行われる予定だった卒業式は中止になり、学生たちはそのまま社会に巣立って行った。
一つ上の1969年春の卒業生らは、2019年10月に「50年目の卒業式」を六甲台講堂で開催。翌1970年春の卒業生は、2020年に同窓会を開く予定で準備を進めてきたが、新型コロナウイルスの感染拡大で延期になっていた。
(写真: あいさつする実行委員会代表の坂井信也さん2022年10月30日午後、六甲台講堂で)
10月30日、同じ講堂で2年順延して開催された『卒業 “50周年”記念 全学同窓会』では、まず、実行委員会代表の坂井信也さん(元阪神電鉄社長、経済卒)が挨拶に立った。「全学卒業式が行われない中で社会に旅立った私たちは、国内外でそれぞれの立場で力を尽くして走ってきた。70歳の半ばまで人生を進めてきたなか、心を休めることができるのは、この母校と当時の仲間だ。きょうは、全学卒業式のセレモニーを通じ、旧交を温めたい」と述べ、これまでに亡くなった仲間に黙とうを捧げた。
(写真: 祝辞を述べる藤澤正人学長)
続いて、藤澤正人・現学長が登壇し、「52年前の1970年に文学部、教育学部、法学部、経済学部、経営学部、理学部、工学部、医学部、農学部をご卒業されたみなさん、卒業式が大変遅くなってしまいましたが、改めてご卒業まことにおめでとうございます」と祝辞を述べた。
学長は、この年、学士試験合格者(学部卒業生)が1004人、大学院修士課程および専攻科修了者119人だったことを紹介。当時の戸田義郎学長事務取扱のメッセージの一部を代読した。
このあと、学年有志から集まった母校への寄付金600万円が、坂井実行委員会代表から藤澤学長に手渡された。
(写真:神戸大学の大学紛争を写真を交えながら解説する大学文書資料室の野邑理恵子さん)
大学文書史料室の野邑理栄子さんの講演では、大学紛争も沈静化を見せていたなかで、1970年3月に全学卒業式が行われなかった理由を説明。
実は、3月31日付で卒業できたのは、教育、法、経済、経営、医学部だけで、文学部では3月卒業組と5月卒業組があったことや、工学部でも4月卒業組があったこと。理学部生は4月25日付、農学部は4月30日付での卒業だったことが紹介され、大学紛争の混乱が尾を引いていたことを、大学史の資料をもとに解説した。
第62代応援団団長・古田徳幸(ふるた・のりゆき)さんとチアリーダーがステージからエールを送って、式典を締めくくった。
了
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