阪神・淡路大震災29年 5時46分、各地で追悼

 阪神・淡路大震災の発生から29年となる1月17日の早朝、震災で崩れたアパート跡地や東遊園地(中央区)、ともだ公園(灘区友田町)、琵琶町公園(灘区琵琶町)には、地域住民や遺族、友人、知人を亡くした人らが被災者を追悼するために集まった。<ニュースネット取材班>

(写真:娘が亡くなったアパートの跡地で手を合わせる上野さん 撮影:久保田一輝)

 阪神・淡路大震災が発生した1月17日5時46分。各地の献花台の周りには灯ろうや街灯の光を頼りに、地域住民や遺族、友人、知人を亡くした人などが集まった。

▽「ニュー六甲ビラ」跡地
 上野政志さんは、神戸市灘区琵琶町3丁目の一角で黙とうを捧げた。この場所は、上野さんの娘である上野志乃さん(当時発達科学部2年)が住んでいたアパート「ニュー六甲ビラ」の跡地。1995年のこの日、志乃さんは課題作成のために訪れていた友人とともに大きな梁の下敷きになり、命を失った。

 上野さんは毎年、この場に訪れ、震災の発生時刻に祈りを捧げる。この日の朝は上野さんと交流のある震災救援隊の学生とそのOB、そしてニュースネットOBが上野さんとともに祈りを捧げた。上野さんは、「志乃は生きていれば49歳。何をしていたかな、と思います。姫路でお店をやっていたのかな、なんて思うこともあります」と娘を偲んだ。

(写真:上野志乃さんの遺影。集まった人が線香をあげた 撮影:久保田一輝)

 全員が線香をあげ終わると、政志さんは「同じ神戸大生というつながりはあるにせよ、(志乃さんが)知らないような人たちにこんなに追悼に来ていただいて、うれしいです」と話した。

▽ともだ公園
 阪神淡路大震災で亡くなった応援団長だった高見秀樹さん(当時経済学部3年)が下宿していたアパート跡の横にある灘区友田町のともだ公園では、5時半ごろから応援団のOB・OGや、応援団現役の神戸大生が集まり始めた。空はまだほの暗く、気温はちょうど0度。
 昨夜にはOB・OGによる飲み会が行われ、高見さんの同期数人が集まった。ともだ公園には初めて来た人もおり、アパートがあった場所を見ながら思い出話をして、高見さんを偲んだ。

(写真:ともだ公園で黙とうする応援団のOBOGや現役部員。2024年1月17日5時46分 撮影:塚本光)

 山内正嗣・応援団OB会長は、「毎年集まっているが、これは彼の人柄あってのもの。応援団が復活してまだ6年。彼のご両親から寄付をいただいて団旗を作った。高見さんの神戸大学を見守りたいという思いもある。団旗に高見さんの魂が宿っているのではないか」と言う。

 また、応援団団長の河村愛菜さん(文・3)は、「毎年幹部だけが参加させてもらっている。高見さんの代があったから今の私たちがある。ありがとうございますという気持ちと、これからも見守っていただきたいとという気持ちで手を合わせた」と話した。副団長の近藤愛菜さん(保健学科・3)は続けて、「今回参加するということで改めて災害のことを知る良いきっかけになった」と話した。
 応援団で高見さんの1つ下の後輩である国司和丸さんは「普通に命日なんで、墓参りするような気持ち。お墓参りする時ってみんな近況を報告するとかそんな感じだと思う。1年間元気だったよとか、報告をしている」と語った。

 高見さんと同期だった富田陽子さんは「私もすぐ近くに住んでいた。悲しいというより懐かしいという気持ち。最初10年くらいは思い出したくなかったが、今は集まって笑い話したりもする」と話した。

(写真:ともだ公園では、応援団の現役部員と卒業生が話している様子も見られた 撮影:蔦旺太朗)

(笠本菜々美・川崎成真・蔦旺太朗・塚本光・奥田百合子)


 

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