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- 震災29年慰霊献花式 参列者のことば【後編】
阪神・淡路大震災から29年。当時、神戸大学に勤務していた人をはじめ、様々な形で震災に巻き込まれた人、震災に関心を持った人たちもキャンパスの慰霊碑に花を供えた。後編では大学職員や現役学生、市民の言葉を掲載する。<ニュースネット取材班>
大学職員・現役学生のコメント
▽木戸良明さん
神戸大学副学長
献花式のはじめに、大学を代表して花束を供えた木戸副学長は、「震災から29年。神戸大では、学生39人や教職員も亡くなった。安否確認方法をはじめ、災害対策はすすんでいるが、まだ十分ではない。いつ震災が発生しても対応できるような体制づくりを今後も進めていきたい」と語った。昨年度と比べ、参列者が増えた今回の献花式。木戸副学長は、「コロナ禍が明けたことで、参列しやすくなったのではないか。また、能登半島地震があり、我が事として阪神・淡路大震災を振り返る人もいたのでは」とコメントした。
1月1日発生した能登半島地震については、「病院の医療サポートをはじめ、現地と連絡しながら支援を行っている。神戸大の現役学生のなかにも、石川県出身者が約300人いる。対応を継続していきたい」と話した。
来年は、阪神・淡路大震災から30年となる。神戸市や兵庫県との催しや、神戸大が独自の追悼行事が企画されているという。「ご遺族の方との交流なども考えている。今後も献花式は続けていく」と話した。
▽大村直人さん(61歳)
神戸大学副学長
「震災当時も大学にいたので、そのときを思い出しながら献花した。工学部の応用化学科の教員をしていたが、学生で犠牲になられた方もいる。工学部の坂本くんも亡くなった。他の学生も何人も下宿が崩れた子がいた」
(写真:慰霊碑の前で祈る大村さん)
▽重富公生さん
経済学部教授
「式典に参加できないので早めに来た。来年定年だが、こちらに赴任した翌年だったと思うが、阪神淡路大震災が起こった。痛ましいことが起きて、学生もたくさん亡くなった。文化住宅という横長の安い物件があったが、そういう物件に住んでる学生が多く、一階が潰れてペシャンコになってしまった。29年、とても早いなと思う」
(写真:取材を受ける重富さん)
▽丸山祐造さん
経営学部教授
「この日に慰霊碑を訪れるようになったのは昨年から。自分の子どもが大学生になると、学生たちも大勢亡くなったという震災に対して思うところがあり、こうして手を合わせるようにしている」
▽磯辺康子さん
神戸大戦略企画室広報・基金部門 特命准教授
「震災当時は神戸新聞に勤務していて、神戸市中央区で被災した。神戸大学は被災地にある大学なので、震災について考えるのは当たり前のこと。県外から(神戸大に)来た人もいると思うけど、在学している間に一度は震災について考えてほしい」
(写真:取材を受ける磯辺さん)
▽村上早百合さん
神戸大戦略企画室広報・基金部門 コーディネーター
「大学HPに記事を掲載するため遺族の方に取材しに来た。また、大学OGとして追悼の意を示すため、献花をした」
(写真:取材を受ける村上さん)
▽石田輝郎さん
経済経営研究所 機械計算室
「神戸大の学生、関係者を含め、全国の人がこれからも震災を忘れることのないように祈りに来た。自分は、毎週慰霊碑に献花をしている」
(写真:取材を受ける石田さん)
▽外村正一郎さん
神戸大学 監事
「年明けにも能登地震があったが、皆さん一生懸命復興されている。これを機に災害を思い出してそれに向けて準備していくことが大事であると感じた」
(写真:取材を受ける外村さん)
▽近藤民代さん
神戸大学都市安全研究センター教授
「震災当時は大学生だった。震災で、多くの人が亡くなったから同じことを繰り返して欲しくない。住宅や都市の安全について研究しないといけないなと当時思った」
(写真:取材を受ける近藤さん)
▽武田百花さん
法学部3年
「父親が淡路島出身であったり、大学で震災関連の本を読んだりしたことで、震災への関心が高まった。同じ大学、同じ学部の学生たちが大勢亡くなっていることを知ったときは胸が痛んだ。1年に1度くらい、行けるなら手を合わせに行こうと思い、この場にやってきた」
(写真:取材を受ける武田さん)
その他の参列者のコメント
▽神戸大学の卒業生
「当時大学生だった。亡くなられた高見さんと同じ世代ということで来た」
▽植松健、良子さん夫妻
現在神戸大法学部4年生の子供を持つ。
「献花式には一度来たかったので、子供の卒業前に来た。子供が住んでいるマンション(灘区高羽町)の前に慰霊碑があった。震災当時は、自分も20歳だった。今は香川県に住んでいる。今自分の親と同じくらいの歳の方が、当時自分の子供と同じくらいの歳の方を亡くしたというのは、いくつになっても忘れることはできないだろうな(涙ぐむ)」
(写真:取材を受ける植松健さん、良子さん)
▽国清彩さん
加藤りつ子さん(故・加藤貴光さんの母)の付きそい
「献花式には何度か来たことがあるが、この日、ここで変わらず29年目も慰霊祭があるということがご遺族の方の支えになっていると思うので、大切な機会が用意されているということに、感謝の気持ちがあります。毎年ここを訪れることで震災について思いをはせることができているので、ありがたいなぁと思います」
▽松本久子さん
加藤りつ子さん(故・加藤貴光さんの母)の友人。
「娘が加藤くんの友達で、(彼のことを)とても尊敬していた。素晴らしい青年が亡くなったことを嘆いているお母さんと一緒に時間を過ごすことで、娘にもその事を伝えられるから、30年近く経ってみると、娘のためにもなったなぁという気持ちはある」
(写真:献花する加藤りつ子さん(左)、松本久子さん(中央)、国清彩さん(右))
▽杉林弘仁さん(62)
神戸大学卒業生
「あの頃、大学院修士として研究していた。震災が起こった前日は車で大学に来ていた。その帰り、六甲で下宿していた同期を車に乗せて大阪に帰っていた。彼はそのあとお酒を飲んで遅くなって六甲に帰れず、梅田にあるカプセルホテルに泊まり、被災を逃れた。後日その友達の家に行くと、2階の屋根しかなくなっていた」
▽田中謙太郎さん
ニュースネット委員会OB
「2016年に卒業して、その年の1月の献花式から8年ぶりに参加した。改めてたくさんの方が献花に来られていて、時が経っても、災害やこの大学で亡くなった人がいるということを受け止めて、この場に来ている人がいることを知れてよかった」
▽瀧本善斗さん
ニュースネット委員会OB
「上野さんがいらっしゃっているので、毎年来ている。現役の時も上野さんの取材や琵琶町公園も毎年来ていた。大学が毎年こうやって式をやっているのは意味のあること。どうしても29年という時間の経過と共に参加されるご遺族が少なくなっているが、意思を持って続けていこうと思う」
▽鈴木太郎さん
ニュースネット委員会OB
新聞記者
「今の仕事を続けている原点がニュースネット。自分の価値観が変わる中で歴史を詳らかにできるということに興味関心があった。阪神淡路大震災を取材したことは、今の自分につながる系譜としてありがたい経験になった」
▽神戸大学の教職員(匿名希望)
「最近の若い人は(「地震」と聞くと)東北大震災をすぐに思い浮かべるから、阪神淡路大震災が忘れ去られたように感じる。神戸大学の学生さんも、いま能登半島で被災してる人たちも、神戸でそんなことがあったということを忘れないでほしい。そして、過去の経験を活かして防災に取り組んでほしい」
(笠本菜々美・奥田百合子・尾畑陽貴・川﨑成真・蔦旺太朗・村上愛純・本多真幸・島袋舜也・久保田一輝・大坪千成・宮原裕)
了
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