震災への思い深く 亡くなった五百旗頭名誉教授

 3月6日午後、急性大動脈解離のため80歳で亡くなった神戸大名誉教授で政治学者の五百旗頭真(いおきべ・まこと)さん。阪神・淡路大震災で神戸大法学部4年だったゼミ生、森渉さん(当時22歳)を突然失い、その後、遺族との親交を続けた。学生新聞のインタビューでは、先があると思わずに今に力を注げ、と学生たちに語りかけた。<取材班>

(写真1:震災2か月後の卒業式で、亡くなった森渉さんの父・茂隆さん=右=を囲み、ゼミ生とともに写真に収まる五百旗頭さん。ニュースネットサイトの連載【慰霊碑の向こうに】から。1995年3月24日撮影 森尚江さん提供 一部、画像を加工しています)

 渉さんの母・尚江(ひさえ)さんは、ニュースネットの電話取材に「ただもう信じられない。ずっと忘れずに(息子のことを)思ってくださっていた」と語った。

 著書を出版するたびに五百旗頭さんが送ってくれた本には、自筆で「渉君に捧ぐ」とあった。

 「息子の死、教え子の死にまっすぐ向き合ってくださった。私たち家族とともに、悲しみを共有してくださったことは忘れません」と、言葉をつまらせながら話した。

(写真2:堺市の自宅前に立つ姉・祐理さんと渉さん。ニュースネットサイトの連載【慰霊碑の向こうに】から。森尚江さん提供 1994年10月1日撮影)

 渉さんの姉でゴスペル歌手の森祐理さんは、報道が流れた7日午前9時過ぎに新聞社からの電話で訃報を知ったという。

 ゼミの教授として、渉さんの葬儀の弔辞を読み、震災10年、20年の際に友人有志が開いた「偲ぶ会」にも顔を出した五百旗頭さん。

 祐理さんは、「弟の渉を通じて、私たち家族を支えてくださった。大切な存在が天に召されて、さびしいです」と漏らす。

  「来年の震災30年には、先生に来ていただいて集いを持ちたかったのに」と、残念そうに電話取材に答えた。

(写真3:研究室で撮影に応じた五百旗頭さん。ニュースネットの特集「震災三年」から。1997年12月撮影)

 ニュースネット委員会の元編集長、副野吉史さん(48)は、1997年12月、震災3年の特集記事の紙面のために五百旗頭さんにインタビューした。

  忙しい中、「30分だけでいいので」とアポイントメントをとって、研究室を訪ねた。亡くなったゼミ生の森渉さんの話を聞くうち、「気がつけば取材時間は3時間を超えました」と、五百旗頭さんの震災への深い思いがあったと振り返る。

 五百旗頭さん自身、西宮の家で被災したこともあって、一日一日を大切に生きていかねばというメッセージを強く語ったという。

 「将来のために力を温存しておこうとしても、そんなの保証できないですね。今何か持っているものは出すべきですよ。人生の中で決勝戦って、ないかも知れん。学生のみなさんも、そして私もそれを肝に銘じて生きていかなければ」という言葉が、記事の最後を締め括った。

▼関連記事「連載【慰霊碑の向こうに】故・森渉さん(当時法学部4年)=母・尚江さんの証言」=https://x.gd/iuCOZ

▼関連記事「ゼミ生を失った悲しみ 『一日一日を大切にしたい』」=https://kobe-u-newsnet.com/newsnet/sinsai/tokusyu98/kobe-u.html#kouhai98_4

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