今年も、神戸大の学園祭「六甲祭」がいよいよ開催されます。神戸大学の学園祭はどのような歴史があるか知っていますか? その出発点は、1949年(昭和24年)に新制神戸大学がスタートした際の「開学記念式典」にあったことがわかります。
神戸大学大学文書史料室所蔵の各学部の「卒業アルバム」や『神戸大学新聞』、放送委員会の『KUBC PRESS』(1981年創刊)、ニュースネット委員会の『神戸大学NEW S NET』(1995年創刊)などの学内メディアの記事でたどってみます。<編集部>

(写真:「六甲祭」の装飾が行われる六甲台正門の大階段 2023年11月11日撮影)
神戸大の学園祭としては、かつては、「ジュニア祭」、「水無月祭」が行われていました。教養課程の学園祭として行われていました。
現在も続くものとしては、2006年から行われているのが「七夕祭」。ベルカン(神戸大学六甲台学生評議会、法・経済・経営学部ゼミ幹事会)が主催して開催されていて、今年(2025年)が第20回でした。
このほか、学部祭としては医学部医学科の「大倉山祭」、医学部保健学科の「名谷祭」、海洋政策学部の「深江祭」があります。
そのなかでも一番規模が大きい「六甲祭」。全学学園祭を目指してスタートしました。現在は、六甲台地区4キャンパス(経済、経営、法、文、理、農、工、国際人間科学の7学部)の学園祭として定着し、今年で第46回になります。
その源流をたどってみましょう。
○ ○
1949年(昭和24年)に新制大学としてスタートした神戸大学。その学園祭には、いくつかの転換点がありました。
《神戸大学の学園祭の歴史(新制大学スタート後)》
▽1949年(昭和24年)「開学記念式典」行われる
▽1950年(昭和25年)「開学記念祭」実施
▽1954年(昭和29年)この年から「全学統一開学記念祭」開催
▽1960年(昭和35年)第11回「開学記念祭」開催
▽1961年(昭和36年)第12回「大学祭」として開催
▽1969年(昭和44年)第20回は大学紛争の影響で「反大学祭」として実施
▽1970年(昭和45年)第21回「大学祭」開催
▽1971年(昭和46年)この年から「六甲台祭」として開催
▽1980年(昭和55年)この年から「六甲祭」開催
○ ○
経済学部の第2回卒業記念アルバムの扉には、カラー写真の六甲台本館が掲載されています。昭和20年代後半に撮影された写真と思われますが、まだ壁面には戦時迷彩の黒い跡が残る姿です。
-1024x710.jpeg)
<写真:経済学部の第2回卒業記念アルバムの扉に掲載された戦時迷彩の跡が残る六甲台本館>
記録をたどると、1949年(昭和24年)5月に新制神戸大が設置され、文理学部・教育学部 ・法学部・経済学部・経営学部・工学部の6学部でスタートします。このとき、「開学記念式典」が行われています。そして、翌1950年(昭和25年)には、「開学記念祭」が実施されています。
戦後の神戸大の学園祭は、ここが出発点になっています。
●1954年から「全学統一開学記念祭」始まる
1954年(昭和29年)には、「開学統一記念祭」と<統一>のスローガンが盛り込まれていることには、興味深いものがあります。
1955年(昭和30年)5月25日付の『神戸大学新聞』には、「開学統一記念祭はじまる」という見出しが出ています。「第二回目の統一開学統一記念祭が、さる五月十四月の六甲台学舎での碁将棋大会予選を皮切りに六月五日まで、計十日間行なわれる」「本年より開学記念日も五月十五日に決定され、統一開学配念祭の地盤も徐々にではあるが、かたまってきた感がある」と書かれています。

<画像:神戸大学新聞1955.05.25 1面「開学統一記念祭はじまる」>
竹内茂樹委員長のもと、実行委員会もたびたび総会をもち、「だれもが参加出来る開学記念祭を目指して努力してきた」とあります。
「展覧会、演劇、ストームなど、全学挙げて参加しよう」とサブ見出しにあるように、開学の式典から「学園祭」に近づいてきたことが読み取れます。
記事中には、御影キャンパスでフォークソング、ファイヤーストームが行われると告知され、西代では映画上映会、六甲では学生写真展、学生学会主催のダンスパーティー。日本文学協会の「文学講演会」といった、硬派の企画も見えます。
「学生諸君の統一への歩みがこうして表されるのは大変よろこばしいことだ」と、第2代の古林喜楽学長(昭和28年12月〜昭和34年12月)は新制神戸大の各学部が一体となることに期待をしながらも、「一つ言いたいことは、盛りだくさんすぎることだ。(中略)全学的な開催場のないのが悩みの一つだが、各学舎を順番に年を追って開催場としていってはどうか」と苦言・助言も呈しています。
たこ足キャンパスの悩みと、「神戸大学は一つ」という意気込みが一体になって、学園祭が熱気を帯びつつあったことがわかります。
●第8回開学記念祭は六甲台に集約 姫路分校の学生を「招待」
それから2年後、第8回を迎えた1957年(昭和32年)4月25日付の『神戸大学新聞』には、「五月十五、六日 若葉かおる六甲台で開学記念祭」「真の総合大学めざして」の見出しが掲げられ、<統一>という文言は外れています。
前夜祭は、御影学舎で行い、六甲台学舎の学生が合流。さらに、午後四時までに到着する三百〜五百の姫路分校も加えて、フォークダンス、ファイヤーストーム、歌舎戦を行って親睦を深める、とあります。
七・三にきちんと髪を分けた前田実行委員長のコメントには、3つの柱が掲げられていて、その一つに、「今までの各学舎がバラパラでしかも長期間にわたる催しを改めて、場所は六甲学舎一本で、日は十五・十六両日に決める。同時に姫路分校生も神戸に招待することによって、実質上の全学的統一の開学記念祭を持ちたい」と述べています。

<画像:1957年(昭和32年)の開学記念祭 六甲台講堂には新制神戸大学の学章が見える 1958年の卒業アルバムから>
また、全学統一の自治会(中央執行委員会)が生まれて初めての開学記念祭だと述べていて、「自治会の平和活動と民主教育の精神でこの開学記念祭を貫きたい」と意気込みを語っています。
さて、この記事の右肩には、『論説』欄があり、この年までの開学記念祭を省みる記事が掲載されています。
「統一された記念祭は、古林学長が就任した昭和二十九年五月に始まった。それまでは各学部ばらばらに、しかも五月と十一月の二回にわたって行われたこともある」と、<統一>までの歩みを振り返っています。
○ ○
この連載は、六甲祭実行委員会などの協力を得て、社会科学系学部の同窓会「凌霜会」の機関誌『凌霜』に、2024年1月号から連載されている記事を、転載しています。
▼連載記事リンク
【六甲祭ヒストリー】① 新制・神戸大学「開学記念式典」が戦後の学園祭の出発点
【六甲祭ヒストリー】② 1950年代の「開学記念祭」
【六甲祭ヒストリー】③ 1960年代の呼称は「大学祭」
【六甲祭ヒストリー】④ 1971年〜79年の「六甲台祭」
つづく
コメント
この記事へのトラックバックはありません。












この記事へのコメントはありません。