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- 震災で友人亡くした神戸大OB 下宿跡で体験語る
ニュースネット委員会の記者・カメラマンが、11月23日、岡山県の自治体職員Sさん(53)と灘区内を歩き、阪神・淡路大震災の体験を聞いた。当時、Sさんは法学部4年生。ユースサイクリング同好会の仲間3人を失った。そのうち1人は、同郷で同じ高校のクラスメイトだった。<田中博朗>

(写真:被災直後の様子を記者たちに語るSさん 2025年11月23日午後 神戸市灘区で 撮影=久保田一輝)
灘区六甲町の木造アパート「西尾荘」の2階に下宿していたSさんは、1995年1月17日未明に、ゼミやサークルの仲間3人と深夜ドライブに繰り出した。
もう一人声をかけようと、近くのサークル仲間Eさんのアパートを訪ねたが、電気が消えていたため誘わなかったという。
阪神高速湾岸線を走った後、明け方アパートに戻った4人が話し込んでいるところで、激しい揺れに見舞われた。兵庫県南部地震、のちに阪神・淡路大震災といわれる地震の瞬間だった。
停電。そして床が落ちるのがわかった。
玄関から脱出できず、窓から北隣のマンションに逃れて助かった。その時、近くまで炎が迫っているのが見えたという。
被災後、小学校の避難所や友人宅を転々とする中で、同郷の親友、Eさんがアパートの倒壊現場から救出される場面に立ち会うことになる。
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SさんとEさんは共に、愛媛県立八幡浜高校の卒業生。進学先が同じ神戸大法学部だったのも偶然で、「ここまで一緒になったのだから」と同じユースサイクリング同好会を選んだ。
上高地や大分など全国各地を自転車で周り、プライベートも共にする仲。Sさんが風邪を引いた時には、Eさんがうどんを作りに来てくれたこともあったそうだ。
あれからまもなく31年。1月17日は、ほぼ毎年、四国にあるEさんの墓を訪れ、手を合わせる。
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(写真:被災した下宿跡付近で震災直後の状況を振り返るSさん 2025年11月23日午後 神戸市灘区で)
この日の取材には学生記者・カメラマン4人が参加。区画整理ですっかり様子が変わった六甲町を、坂上さんと巡った。焼け落ちたSさんの下宿のあった場所や、Eさんが亡くなったアパートが建っていたあたりを歩いた後に、その体験を語ってくれた。
あの時、もしEさんをドライブに誘い出していたら…。
自分のアパートも全焼して神戸大生3人が亡くなった。もし、脱出が遅れていたら…。
幾度もメガネを外し、涙を拭う。そして、Sさんは、「たまたま生き残ったんです」と繰り返した。
この日のインタビューの模様は、1月にニュースネットのサイトに掲載される。
了
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