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- 5時46分「ニュー六甲ビラ」跡地で献花 娘の思い出と撤去された慰霊碑
1月17日の午前5時半過ぎ、神戸市灘区琵琶町にある「ニュー六甲ビラ」の跡地では、震災で犠牲になった上野志乃さんを偲び、父親の政志さん(78)をはじめ13人が集まって献花を行った。政志さんは、娘の思い出や慰霊碑が撤去されたいきさつを語った。<ニュースネット取材班>

(写真:現場で組み立てた献花台に火を灯す上野政志さん。2026年1月17日5時40分ごろ撮影)
5時半過ぎには、上野政志さんら総勢13人が神戸市灘区琵琶町3丁目の一角に集まっていた。天気は晴れており、気温は5度。ここは、政志さんの娘である上野志乃さん(当時発達科学部2年)が住んでいたアパート「ニュー六甲ビラ」の跡地だ。
震災が起こった1995年1月17日の前日の夜、志乃さんは友人2人と大学の課題に取り組んでいた。翌日の午前5時ごろまで取り組んでいたが、その直後の5時46分に被災した。
今年もこの日この時刻に「ニュー六甲ビラ」の跡地に集まった政志さん一同は、志乃さんの写真が置かれた献花台を前に、5時46分に一斉に1分間の黙祷を捧げた。
黙祷の後、政志さんは献花台に花を供え、祈りを捧げた。その後、被災地に学ぶ会代表の藤室玲治さん(震災救援隊OB)をはじめ、報道関係者や学生ら13人による献花が行われた。

(写真:献花台に花を供える参列者 2026年1月17日5時50分ごろ撮影)
献花台に供えられたのはタイ原産のデンファレという花。マンドリンクラブの定期公演パンフレットを作る際に、志乃さんが表紙のデザインに用いた思い出の花だという。献花台には志乃さんが作成したパンフレットも置かれていた。

(写真:志乃さんが作った演奏会パンフレットを見せる政志さん)
志乃さんの写真は昨年までとは異なり、平成7年の成人式での晴れ姿を写したものに変わっている。昨年までの写真が用意できず、急遽用意したものだという。写真の縁には「一歩一歩大切に歩んでいきたい」という志乃さんのメッセージが書かれている。
「娘は前に出るような子ではありません。友達に助けられることが多い、控え目な子でしたから、成人式で委員長を務めると聞いたときは驚きました」と政志さんは振り返る。
献花を終えた後で政志さんは「こんなにたくさんの人に、同じ思いで来ていただいていることが嬉しい。自分が生きている限りはやろうと思います」と参列者に感謝の意を示した。
献花式が行われた周辺の住宅地の一角には、かつて政志さんが住民の許可を得て、志乃さんをはじめ「ニュー六甲ビラ」の犠牲者3人の名が刻まれた慰霊碑を設置していたという。しかし、その慰霊碑は現在この場所にはない。
「駐車場を作る段になって、知らん間に業者が捨ててしまっていました。問い合わせもしましたけど、何の返事もなかった。そういう経過でここにはありません。(フェンスを指差しながら)唯一当時のままのこっているのはこれだけ、このフェンスだけです」と政志さんは寂しげな面持ちで話した。
震災救援隊に所属しており、志乃さんの献花に参加した桐谷直起さん(国人・グロ文・2年生)は、「普段の生活で死に向き合う経験はなかなかない。30年間死に向き合っている人のお話を聞いて、自分のこれから、人生と向き合う大切さを感じさせられた。震災救援隊としての発信も頑張っていきたい」と語っている。
その後、政志さんと関係者は琵琶町公園に向かった。公園には約20人が集まり、慰霊碑前にデンファレの花を供えた。
2014年に神戸大ニュースネット委員会の編集長を務めていたOB・田中謙太郎さんは「一昨年から神戸に住んでいるので、(1月17日は)上野さんのところに来ている」と話した。

(写真:琵琶町公園の献花台前で手を合わせる政志さん 2026年1月17日6時42分撮影)
献花後には政志さんと学生ら神戸大関係者などが、水害被害などに関する意見を交換していた。
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了
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