6434人が犠牲になった阪神淡路大震災から1月17日でまる14年が経過した。神戸市中央区の東遊園地では午前5時ごろから神戸市などが主催する追悼式「1.17のつどい」が開かれ、震災が発生した午前5時46分には1分間の黙祷が行われた。当時神戸大経済学部2部の3年だった息子の健介さんを亡くした白木利周さんはNPO法人「1.17希望の灯り」のスタッフとして、遺族らが交流するテントの運営や警備などに奔走した。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】
白木さんは平成11年に神戸大での追悼式に参加し、「1.17希望の灯り」の代表を務める俳優の堀内正美さんに偶然出会ったことがきっかけで、活動に参加。それから10回目の1月17日を迎えた。今は地域の小中学校で震災を伝えたり、遺族の交流を図るイベントの企画運営などを行ったりしている。
震災発生から4年間は健介さんを失った悲しみで自分の殻に閉じこもっていた。だが、他の遺族と触れ合うことで「震災で失ったものは多いけど、それ以上に多くのものをもらった」と思うようになったという。
午前5時46分は警備をしている最中に迎えた。そっと目を閉じ、「無事に(追悼式が)終わってほしいな」と願った。
14年が経とうと、心の傷は癒えない。健介さんは東灘区にある実家の自室で眠っていたところ、隣家の蔵が倒れてきて犠牲になった。家族全員が同じ家にいたのに、亡くなったのは1人だけだった。
白木さんの心の中にはいつも健介さんがいる。震災のことを考えると、すぐにあの日のことが鮮明に蘇ってくる。公務員の資格を取得し、自分なりに人生の計画を立てていた息子がなぜ犠牲にならなければいけなかったのかとつらくなる。
生きていれば健介さんは35歳。すでに子どもがいてもおかしくない年齢となった。「私には孫がいない」と白木さん。「そういうのを味わいたい」と寂しそうに話した。
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