「現吉は癒しの場」 競さんの遺族話す

阪神・淡路大震災の犠牲となった競基弘さん(神戸大大学院自然科学研究科博士前期課程・1年)の遺族は1月16日、居酒屋「現吉」で基弘さんの仲間と集まり、久々の再会を祝った。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

 集会は当時基弘さんがアルバイトしていた「現吉」で、震災が発生した翌年から毎年行われている。街が復興しても、10年以上経っても変わらない店内。「現吉は、私にとって癒しの場。基弘のいない辛さや寂しさを忘れさせてくれる」と話すのは基弘さんの父、和巳さん。  和巳さんは基弘さんの仲間と思い出話に花を咲かせていた。1年ぶりの再会で、笑いが絶えない部屋。「また1年頑張れる」。和巳さんは笑顔で話した。

 昨年、基弘さんのロボットにかける思いが英語教科書に掲載されることが決まった。基弘さんの思いが若い世代に伝わる。また、近年レスキューロボットに関する研究を行う若手研究者が増えている。
 レスキューロボットの認知度が上がっている現状に「天国で自慢していると思う」と思う一方で、和巳さんは「基弘は気恥ずかしがっていると思う」と推測する。「自分は何の功績も残せていないのに、名前だけが世間に広がっているから」。しかし、基弘さんの思いが世間に伝わることにより、レスキューロボットの存在が知られるだけでなく、震災の風化を防ぐこともできる。それが残された者として、何よりもありがたい。「基弘のおかげで生かされている」と和巳さんは話した。(記者=西田健悟)

【写真】集会の様子。写真手前左は競基弘さんの父、和巳さん。(1月16日・居酒屋「現吉」で 撮影=仲田一平)

●好青年だった 「現吉」店長が話す競さん
Photo 阪神淡路大震災で亡くなった競基弘さん(当時=自然科学研究科博士前期課程・1年)が当時アルバイトしていた居酒屋「現吉」の店長である廣瀬浩三さんが、当時の競さんの様子を振り返って話した。?
 競さんが現吉でアルバイトを始めたのは大学に入学してすぐのこと。亡くなるまでの約5年間競さんはこのアルバイトを続けた。「クラブ・バイト・勉強・交友関係すべてにおいて一生懸命取り組む好青年だった」と廣瀬さんは話す。当時は現吉のメンバーでヨットやキャンプに行くことがあり、自然と2人の間柄も親しくなっていった。廣瀬さんの娘の家庭教師を競さんが務めたこともあるという。
 そんなときに起こった悲劇。競さんが亡くなる3日前に2人は偶然神戸大学近くの交差点で出会っていた。「マスター!」。競さんの叫んだこの一言が最期のあいさつになろうとは。「今となってはもっと話したかった」と廣瀬さんは本音を漏らした。

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