大学グループ展では最多の開催回数を誇る「旧三商大写真展」の創立70周年記念展が、東京に次いで大阪・梅田で始まった。戦前戦後の日本の写真界で注目された作品などが展示され、初日から、神戸大、大阪市大、一橋大の現役学生や、OBらでにぎわった。【3月11日 神戸大NEWS NET=UNN】
神戸商業大(現神戸大)、大阪商科大(現大阪市大)、東京商業大(現一橋大)の旧制商大の写真部合同展の第1回「三商大写真展」が開催されたのは昭和10年。
戦後は「旧三商大写真展」と呼ばれるようになったOBと現役の合同展で、今年は70周年記念展。東京・新宿の野村ギャラリー(2日~7日)に続いて、大阪でも始まった。
3月11日から16日まで大阪市立総合生涯学習センター(大阪駅前第二ビル)で開催される。午前9時30分から午後9時30分まで。ただし、12日(日)、16日(木)は午後5時まで。
大学グループ展では最多の開催
開催は55回を数え、大学グループ展では最多という。戦中の1942(昭和17)年から51(昭和26)年と、大学紛争の1969(昭和44)年から74(昭和49)年の2度の空白期間があったが、その後は途切れることなく続いている。
太平洋戦争では、神戸大は部員の多くを戦死や病死で失った。戦後「旧三商大写真展」として復活した陰には、戦地から戻った一橋の部員らの尽力があったという。
戦後しばらくは、総合大学になった西の2校の会場は「三大学連合写真展」、「商科」に違和感のない東京の一橋主催の会場は「旧三商大写真展」と呼称が分かれたと言うエピソードもある。
戦争、大学紛争の中断を乗り越え
50周年から、5年おきの記念展に奔走してきた、竹内淳一郎さん(神戸大、1963年営卒)は、「今回は会場おさえから設営まで、3大学力を合わせ自力でできた」と満足そう。
記念展とあって、歴史コーナーが設けられ、これまでのポスターや、学生帽姿の部員らのコンパのスナップも。アサヒカメラや写真月報などの写真雑誌に紹介された記事も紹介されている。アマチュア写真界を学生がリードしていた戦前のモノクロ写真から、現役学生のカラー写真まで80点あまりが展示されている。
大陸に取材旅行に出かけて撮影された「立ち話」(伊藤達郎=神戸大1941年卒=撮影、昭和13年出品)には、ロシア語、日本語、中国語、英語の看板の前を、和服の女性やロシア人少年が行き交う風景がおさめられ、当時の満州の社会が凝縮されている。
「もとまち」(加藤潔=神戸大1954年卒=撮影、昭和28年出品)には、戦後間もない国鉄の駅前のタクシー乗り場が、薄暮の中で写し出されている。
神戸大写真部の山中武副部長(工2年)は「アサヒカメラなどに掲載されるなど、昔は学生が写真界の先端だったんですね」と感慨深そうに話していた。
「歴史の重さ実感」と現役部員
3大学の写真部は、1962年から合宿も続けている。この交流の絆は深いとOBたちは言う。
「搬入、受け付けなどは(3大学の)現役学生も力を合わせた」と大阪市大写真部の永田晶子さん(文2年)。一橋大写真部の田代泰久さん(商2年)は、「3大学は傾向も違うが、刺激になっていい」と話す。神戸大写真部の片岡寛尚部長(法2年)は「重い歴史を実感した。OBになっても出品したい」と決意表明。
実行委員長の天野文彦さん(一橋大、1954年卒)は、「70年も続いている学生展は珍しい。80年、100年展と、3大学の縁を大事にしながら続けてほしい」と、後輩たちにメッセージを送った。(記者=須田鉱太郎)
【写真2】加藤潔さん=神戸大1954年卒=撮影の「もとまち」(昭和28年出品)。
【写真3】戦後、西2校の主催会場では「三大学連合写真展」で再開。
【写真4】「歴史を実感した」と現役部員ら。(いずれも3月11日午後5時すぎ・大阪・梅田の大阪市立総合生涯学習センターで 撮影=須田鉱太郎)
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