6月1日日曜日、季節外れの台風が過ぎ去った神戸市灘区の都賀川公園で一風変わった町祭りが行われた。「灘チャレンジ」――、神戸大のボランティアを中心に、大学生が企画・運営から開催までの舵取りをしているイベントだ。
もともとのルーツは震災からの「復興祭」。阪神淡路大震災の年、1995年に始まった。震災後に出来た学生ボランティア「神大学生震災救援隊」が中心となって開催。倒壊したままの住宅や、更地が広がっていた当時、若い力が被災地の人々を元気づけてきた。
しかし、その灘チャレンジも震災から時間が経つにつれ、その役割に変化を見せている。「今はもう復興祭じゃなくなった」と、今年の実行委員長・森下直矢さん(神戸大・3年)。9回目の開催を迎えたいま、灘チャレンジの何が変わり、何が変わらなかったのか。
灘チャレンジの会場を見回してみる。子供からお年寄りまで、来場者の年齢層は幅広い。車椅子に乗る人や、介助者に支えられて会場を回る人の姿もところどころで目に付く。誰もが参加できる祭りの会場は、まるで地域の縮図のようだ。
「学生と住民が一緒になって地域を作っていこうという思いは、震災直後の灘チャレンジから変わらない」。森下さんの活動の原動力は、人と人とのコミュニケーションだ。
震災がきっかけで見えてきた地域の問題の提起も灘チャレンジの特徴の一つ。差別、高齢者問題や障害者問題など、大災害から浮き彫りになった問題を主に野外演劇を通して紹介し続けている。
阪神淡路大震災が起こった時、森下さんは小学校6年生だった。大阪市内の自宅は震度5の地域。しかし、家や近所での実際の被害はほとんどなく、被害意識は生まれなかった。
当初は震災の話題でもちきりだった生活も、2~3か月でもとの日常に戻っていく。「体験した揺れは怖かったけど、自分に起こった地震はそこで終わった」。今では、きっかけがなければ体験を思い出すこともない。
時間とともに震災体験の風化は進む。街に活気をもたらした「復興祭」からも、震災の記憶は消えているのだろうか。
「消えているものだけじゃないと思う」と、森下さんは首を振る。震災が残したものは確かにある―、と。
「福祉の言葉で『気付き』というのがある。当たり前のことだけど気付かない問題のこと。震災にはたくさんの『気付き』があった」と森下さん。この「気付き」をもとに、住みよい街を考えるのが灘チャレンジだという。 震災から生まれた、人と人との「つながり」は伝えられている。?
大学でともにボランティアに関わる仲間たちとも、日常で震災のことをを話す機会はほとんどない。灘チャレンジの活動をしている時も、「震災のことを意識することはない」という。
震災からの「復興祭」から、震災後の街をつくる「地域祭」へ。森下さんは「震災の記憶自体は忘れていっているけど、できることをやっていきたい」と話している。
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