【震災特集25】そして語り継ぎへ… 思い繋げる学生たち

 連載「大学から震災の灯は消えたか」第25回。これまで、地域やメディア、教育現場など様々な場所での震災語り継ぎの現状を調べてきた。様々な状況のなかで行われる語り継ぎ。大学生のなかにも震災に触れた体験からその思いを持つ人たちがいる。震災の「あの日」からつながれてきた思いを、学生たちの中に探る。【11月15日 UNN】?

 神戸大発達科学部4年の多田圭吾さん。
 この4年間、大学のボランティア団体「総合ボランティアセンター」に所属してきた。灘区などを中心に、震災の復興住宅に住む高齢者たちとの交流が主な活動だ。震災で見えてきた高齢者福祉などの問題に向き合ってきた。

 ボランティアを始めたきっかけは、友達に誘われての軽い気持ちだった。しかし、ふと思い返せば、多田さん自身の震災体験も重なってくる。
 震災が起きたのは、中学2年の時。自宅に被害はなく、神戸に住んでいた祖母も無事だった。「月並みやけど、テレビを見てえらい大惨事やなと思ったぐらい」。すぐに何かを始めた訳でもなく、次の日からは再び日常の生活が始まった。
 ただ、「何かやりたいなという思いは残った」と多田さん。「大学に入って興味を持ったのは、その時の気持ちがあるのかも」と思い返すように話す。

 ボランティア活動で関わるのは、ほとんどが震災を体験した人たち。今も週に一度、茶話会を催して復興住宅の高齢者と歓談を交す。時にはカラオケに連れて行ってもらうこともあり、「何気なく受け入れてくれることが嬉しい」と多田さん。
 特に日常から意識している訳ではないが、自然と震災の時のことを語り出す人もいる。
 「瓦礫の下に10時間ぐらい埋められてね」と、話すたびに同じ話を語ってくれる人。「ちょっと家に来てみ」といって、自宅で当時の記録写真を見せてくれた人。  「(震災の体験を)伝えたいんだろうな」。多田さんは率直にそう感じた。「被災の内容はテレビや新聞で知ったのと変わらない。でも、生の声はどこか違う」。

 いま、多田さんは卒業論文を書き進めている。テーマは「復興住宅におけるボランティアの役割」。現状の震災復興住宅をケーススタディーに、その問題点と解決策を探る。もちろん自身のボランティア活動がベースにある。
 「ボランティアをやるなかで、(震災を知る)機会に恵まれた」と多田さん。
 「実際に聞いた生の声の、10のうち7ぐらいしか伝えられないかもしれない。それでも、機会があれば話したい」。そう思っている。

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 「なぜ、6000人もの人が一瞬にして死ななければならなかったのか」。

 神戸大で建築を学ぶ学生たちが、この問いの答えを見つけようとしている。震災犠牲者一人ひとりの遺族を訪ね、当時の状況、行動、心境を詳細に記録し、後世に残していく。98年5月に始まった「震災聞き語り調査会」は今年で、5年目を迎える。これまでに記録した犠牲者は323人にのぼる。

 神戸大で建設学を専攻する浅井泰智さん(自然科学研究科修士1年)は、聞き語り調査に携わる一人。震災当時は、中学生で京都にいた。姉が神戸の大学に通っていて、灘の下宿先で被災した。「姉の状況が分からず、怖かった」という。幸い、姉は無事で、震災に触れる機会はその後減っていった。
 大学入学当初から、純粋に建設だけを学びたいと思っていた。「震災聞き語り調査会」を行っている塩崎賢明・工学部教授の研究室に入ったのは、偶然だった。今も「純粋に建築だけを」という思いに変わりはない。

 しかし一方で、遺族が話す「あの日」に触れ、事実を記録として残さねばとの思いを持つようになった。
 遺族によって語られる「あの日」は様々。「たまたま」、兄弟で一緒に寝ていて、ひとりだけ亡くなってしまった人。「たまたま」、夜遅くまで受験勉強していて、その日の朝にかぎって、日課だったジョギングをしなかったため、部屋で亡くなった人。「たまたま」、新築していた梁が倒れてきた亡くなった人。

 遺族が語る「あの日」に共通する「たまたま」。

 その「たまたま」という偶然に至る、当時の光景が遺族の言葉によって再現される。普段と変わらぬ日常生活を送っていた人たちが、どうして死ななければならなかったのか。詳細に事実を記録することで、その問いに答えることができるのではないか。そう思うようになった。

 聞き語り調査は対象者を探すところから始まる。教授の紹介、バイト先の知り合い、学生が持つあらゆる伝(つて)をたどって、対象者を見つける。運良く見つけることができたとしても、断られることも多い。遺族の中には、震災直後の研究目的のヒアリング調査で、辛い経験をした人もいる。調査を始める前には、「研究とは全く関係ありません。ただ記録を残したいんです」と断るのだそうだ。
 浅井さんが聞き語り調査を行うにあたって気をつけていることがある。「震災直後は、やはり悲しかったですか」などという、ぶしつけな質問をしないこと。質問一つひとつに神経を使っている。遺族の心を傷つけてはいけない。その気持ちがいつもある。時には、ほとんど震災に触れないこともある。遺族が話してもいいという環境を作っていくことが大切だという。

 「正直、遺族の話を聞くのは辛いし、悲しい」と浅井さんは打ち明ける。しかし、「原爆を落とされた広島では多くの犠牲者の記録が残されている。しかし、阪神・淡路大震災では犠牲者の方の記録を詳細に残したものがない。このような記録がなければ、今以上に記憶の風化が進み、震災から得られた教訓を知る手段がなくなる」と訴える。

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 地域、メディア、教育現場、そして大学。被災地神戸にとどまらず、これまで様々な場所で震災語り継ぎの現状を調べてきた。
 いくら時が経っても風化することのない思いがある。一方で、現実にはなかなか語られずに、薄れて行く記憶がある。
 「あの日」――1995年1月17日に震災が起きたことは事実。そして、今もその思い、体験の語り継ぎが続いている。決して、十分にされているとは言えないのかも知れない。ただ、そこに込められた思いは、間違いなく「あの日」から語り継がれてきたものだ。(了)



※連載のバックナンバーはhttp://www.unn-news.com/sinsai/2003rensai/でご覧になれます。

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