震災モニュメント交流ウォークが九月十六日、神戸市灘区で行われた。約六十人が阪急六甲駅を出発、神戸大にある慰霊碑などを訪ねた。【9月16日 神戸大学NEWS NET=UNN】
80歳代男性から主婦、学生も 花束や千羽鶴を供える
この震災モニュメント交流ウォークは、神戸各地にある震災にまつわる慰霊碑などをみんなで歩き、語り継いでいこうと企画され、今回で十回目になる。
今回は八十歳を過ぎた年輩の男性から主婦、若い教官、学生までが参加。なかには坂の多い神戸を自転車で毎回参加しているユニークな人も。
二回目から参加し、今や実行メンバーのひとりの白木利周さんは、「お墓は私的なものだが、慰霊碑は公的なもの。たくさんの人が集まり、震災のことを何でも話せる場所」とグループで回る意味を話す。
今日は午前十時に阪急六甲駅を出発、六甲カトリック教会の震災を祈念する聖母像を見た後、六甲台にある神戸大の慰霊碑を訪れた。震災で亡くなった神戸大生三十九人の名を刻んだプレートや「鎮魂」の文字をあしらったモニュメントに花束や千羽鶴を供えた。
「ここへ来ると、息子が語りかけてくれる」
当時法学部大学院一年だった長男の純さんを亡くした工藤延子さんは、愛媛県から参加。震災前には二回しか来た事がなかった神戸大に震災後、二十九回も訪れている。
「生前、純に大学にも参観日があったらいいのにと言っていた。慰霊碑には約一クラスの人数の三十九人が眠っているので、授業参観みたい」と目を潤ませていた。
実行メンバーの白木さんも当時経済学部三年生の息子の健介さんを震災で失った。「ここへ来るとやるべきこと、生かされている意味が分かる。息子が語りかけてくれる」と話す。
「一緒に歩く事で自然に震災の会話ができた」
このイベントには年輩の人達に交じって、工学部・室崎研究室の『震災犠牲者聞き語り調査会』の学生数人も参加。普段、被災者から話を聞く機会が多い園頭紗織さん(工・修士一)は「一緒に歩く事で自然に震災の会話ができた。話を聞くことでちょっとでも辛さを共有したい」という。
途中、雨が降り始めたが、高羽の慰霊碑、石屋川公園の桜の記念樹を回った後、交流会の場が設けられた。取材で参加した新聞やラジオの記者、テレビ局のアナウンサーらも、三宅島噴火、名古屋の水害、トルコ地震の取材体験や、自らの震災への思いを語って、参加者と交流した。
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