7月18日の京都アニメーション第1スタジオ放火事件から1か月。この日を前に、世界中に衝撃を与えた現場を訪ねた。『涼宮ハルヒの憂鬱』、『けいおん!』シリーズなど知られる京アニ。あの日、事件の第一報にあった「京都市のアニメーション制作会社で火災」とのネット記事の見出しを見て「まさか」と思った時の衝撃は忘れられない。多くの人が何を思い、何を伝えようとしているのか、聞こうと思った。<玉井晃平>
私は7月17日午後、現場となった京都アニメーション第1スタジオのある京都市伏見区桃山町因幡に向かった。
京都駅からJR奈良線に乗り南下すると、田畑と住宅地が混在した平穏な風景が広がる。最寄りとなるJR六地蔵駅はそんなのどかな郊外にある。
駅から目的地までの道のりでは、京アニの追悼に訪れたと思われる、花束の入った袋を持った人々の姿が何人か見えた。
(写真:焼けた京都アニメーション第1スタジオ 京都市伏見区桃山町因幡15で、2019年8月17日午後)
現場は住宅地の真ん中にあった。建物は、事件後、地上から数メートルの高さまで白い塀で囲まれたが、黒く焦げた壁面がはっきりと確認できる。火災の激しさを想像させた。
1か月経とうとする今も、思い思いに手を合わせる人々の姿が見られた。
付近には、弔問客と報道陣に対して住民のプライバシーの尊重を求める地元自治会の貼り紙が多数見られた。
近くに設置された献花台には多数の花が供えられていた。添えられたメッセージには日本語だけでなく中国語のものも目立つ。京アニ制作アニメのファンアートもあり、作品がアジアをはじめ、海外でも愛されてきたことを実感させた。
事件1か月の前日ということもあって、現場の建物や献花台周辺には多数の新聞社や放送局の記者、カメラマンの姿があった。当初は、追悼に訪れた人よりも報道陣のほうが人数が多い印象を受けた。
しかし昼過ぎから夕方まで現地を見ていると、うだるような猛暑にもかかわらず祈りに訪れる人の姿が途切れることはなかった。
(写真:現場近くの献花台を訪れる人は絶えない 2019年8月17日午後)
京アニの作った時代に育った同世代の人々はどんな思いでここを訪れているのか、現地で話しを聞いた。
中国・北京から来た高校生の男性(17)は独りでスタジオを見つめていた。家族旅行で訪日中だが、この地にきて追悼するため今日は両親と別行動で京都に来たという。「(京アニの作品では)『聲の形』(2016年)が好きで、劇中の音楽が美しい」と語った。
千葉県から来た高校3年の男性(17)は、この事件で犠牲になった知人を悼むため訪れた。京アニの作品にも親しみがあり、好きな作品には『CLANNAD』(2007?2009年)を挙げる。「ただただ悔しい事件で、早い復興を望む」と語った。
中国・瀋陽から来た大学4年の男性(22)は今回の追悼のため2度目の訪日を果たした。『響け!ユーフォニアム』(テレビシリーズ2015、2016年・劇場版2019年)のファンで、1度目の訪日の際には宇治市の聖地巡礼に行ったという。京アニへの思いを聞くと、「感?一直以来帯?我??秀的?画。京阿尼加油!(いつも私たちに素晴らしいアニメーションをくれてありがとう。京アニ頑張れ!)」とのメッセージを私に伝えてくれた。
埼玉県から来た会社員の男性(20)は献花のあとインタビューに応じてくれた。「真っ黒に焼け焦げた建物を目の当たりにすると、本当に焼けてしまったという事実を思い知らされた。寄付も多く集まっているようで復興は早いと信じる」と語った。好きな作品には『聲の形』を挙げた。
愛知県から来た女性は、以前京都の大学に通っていたときの知人を訪ねるのと合わせてこの地に来た。女性は現在アニメ関連の業界に身を置いているため、同じ世界の人間として弔いたく来たという。「事件は大きな損失だが、一日も早い復興を祈る」と語った。
(写真:献花台には多くのメッセージが日々寄せられている 2019年8月17日午後)
〈取材後記〉
取材当日の京都は、青空が広がって太陽が厳しく照りつける猛暑だった。そんな中でも、日本全国や海外からひっきりなしに手を合わせる人や、メッセージを届ける人がいることに、改めて事件が残したものの大きさを感じさせられた。
また、酷暑の中でも報道各社の記者やカメラマンは、通りに立ち取材し続けていた。普段何気なく接するニュースの裏にある姿も目にすることができた。
了
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