震災慰霊碑前の動き ドキュメント

 阪神・淡路大震災から25年。1月15日から、発災の日の17日までの六甲台第1キャンパスと深江キャンパスの慰霊碑前を中心に、神戸大生の動きを追った。

1月15日(水)
10時30分
メデイア研が、六甲台本館前の慰霊碑近くで「17日に献花式」の告知号外を配布し始める。

(写真:配布の号外)

12時35分
亡くなった坂本竜一さん(当時工・3年)の知人、予備校で知り合ったという神野直子さん(岡山大出身、高校教諭)が慰霊碑に花を手向ける。「地震直後の1月17日の夜だったか、こちらから(坂本さんの)実家に電話したところ、坂本さんの妹さんから『お兄ちゃんあかんかってん』という返答をもらった。私は当時、岡山にいたので、(住んでいた下宿の西尾荘が焼けたことなど)被害の状況がなかなかわからなかった。」毎年、この日とお盆の頃に慰霊碑で手を合わせるという。

1月16日(木)
12時すぎ
この日もメデイア研が、六甲台本館前の慰霊碑近くで「17日に献花式」の告知号外を配布。

15時30分
亡くなった桝富浩二さん(当時自然科学研究科・修士1年)の知人、「混声合唱団アポロン」で桝富さんの後輩だった松本恵さん(神戸大教育学部卒、震災当時社会人1年目)が慰霊碑に花を手向ける。松本さんが桝富さんの訃報を知ったのは、震災から1週間後。当時松本さんは働いていたので訃報が届くのが遅かった。桝富さんのことはみんなにとって「辛い思い出」なのでアポロン内では話すことが少なかった。それでも、毎年この時期には花を手向けに来ているという。

17時00分
震災25年の日を前に、静かな震災慰霊碑。いくつか花束が見える。

18時00分ごろ
慰霊碑にさらに花束が1つ増える。

20時00分
「つどいの家」(灘区大和町)で神戸大学学生震災救援隊の現役学生と卒業生が「1.17をのんびり過ごす会」を始めている。今夜は鍋をつつきながら一晩中、阪神大震災について語り合う。午前5時46分には近くの大和公園で黙祷を捧げる予定。

21時05分
静かな六甲台慰霊碑。

21時35分
震災25年『ラジオ深夜便』特番を待つNHK大阪のRN-1スタジオ。
このあと23:05?明朝5:55まで放送予定。
神戸大学の慰霊碑からの中継のほか、メディア研メンバーが出演予定。

23時05分
関西発『ラジオ深夜便』 阪神・淡路大震災25年 特集「知らない世代に、伝えたいこと」 が始まりました。
震災の記憶や教訓を若い世代にどう伝えるのかを考える特集番組。
スタジオゲストは、落語家の桂吉弥さん(1995年教育学部卒)と、神戸大メディア研の玉井晃平部員。
司会は住田功一アナ(1983年経営学部卒)と、神戸局の北郷美穂子アナ(仙台出身)。

23時18分
『ラジオ深夜便』が、東灘区阪神御影の居酒屋「現吉」から中継リポート。震災で犠牲になった学生、竸基弘さん(当時・ 自然科学研究科博士前期課程1年)の同級生と遺族が語り合う様子を伝える。

23時30分
六甲台の慰霊碑は静かです。

23時40分ごろ
『ラジオ深夜便』生放送で、桂吉弥さん(当時、神戸大教育学部5年生)は、「下宿で寝ていると、ウワーって大きな揺れが来て目が覚めた。布団から顔を出すと本棚も冷蔵庫も倒れてグチャグチャ。窓から外を見ると、電柱がポッキリ折れてて、これはヤバイと感じた」

1月17日(金)

1時30分ごろ
六甲台慰霊碑前から神戸の市街地を見下ろす。街の明かりも徐々に減ってきた。

2時08分ごろ
六甲台慰霊碑前から『ラジオ深夜便』の中継リポート始まる。「この時間冷え込みが厳しくなっています。じっとしているだけで体が震えてきます」と松苗アナ。メディア研の小野、中島両部員「慰霊碑を訪れる人に話を聞こうと、16日昼からここで取材しています」。

3時50分
70代の女性(会社役員)が慰霊碑を訪れる。「神戸出身で神戸大にも子どものころからの思い出が多く、今でもウォーキングコースとしてよく通りかかるが、慰霊碑があることはラジオ深夜便で初めて知ったので来た。灘区の琵琶町復興住民協議会の一員で、1月17日の5時46分には琵琶町公園でメンバーが集まり、慰霊祭を開いている」。

5時46分
地震発生時刻。東灘区の70歳代の女性がタクシーで訪れて、慰霊碑に手を合わせる。「夫が発達科学部の教員で、自宅マンションが被災したのでしばらく研究室に親子3人で避難していた。慰霊碑があることは、昨日、メディア研の告知号外で知った。どうしてもこの時間に来ようと思った」。

7時00分
夜が白々と明けてきた。

7時20分
故・上野志乃さん(当時・発達科学2年)の父・上野政志さん(72)が、慰霊碑に線香を供える。5時46分には志乃さんが亡くなった灘区琵琶町で手を合わせてから、大学の慰霊碑に来た。10年でも25年でも(思いは)変わらない。娘の足を触って、氷よりも冷たかったことは鮮明に覚えている。最近のニュースで「神大生が亡くなったということを忘れない」とインタビューで答えていた学生を見て嬉しかった。(学生と教職員が)41人も亡くなったというその数は大きい。でも一人一人の顔も覚えていて欲しい。

9時00分
献花式の会場設営が始まる。

11時00分
深江キャンパスの慰霊碑。神戸商船大の犠牲者6人の名が刻まれている。

11時30分
献花式1時間前の六甲台慰霊碑。

海事科学部の慰霊碑前でも式典の準備。

11時55分
国際協力研究科の木村幹教授も慰霊碑に。

12時00分
六甲台慰霊碑前には、大学の理事らが集まり始める。

メディア研の告知号外、慰霊碑周辺でこの時間も配布。

12時30分
献花式開始のアナウンスに続いて、武田学長はじめ参列者が黙祷をささげた。

【動画】「黙祷をささげる武田学長ら」https://youtu.be/SP1tqd5Erro

12時31分
武田学長が“追悼のことば”。「慰霊碑に込められた精神をそして銘板に刻まれた『友よ、神戸大学を、そして世界を見続けてほしい』という言葉に込められた思いを改めて心にとどめ、今後も教職員学生にしっかりと語り続けていきたいと考えております」。

【動画】「学長の追悼の言葉<前半>」https://youtu.be/iUDrWDmzBzQ
【動画】「学長の追悼の言葉<後半>」https://youtu.be/iUDrWDmzBzQ

深江キャンパスの慰霊碑でも、献花式が始まる。内田誠・海事科学研究科長は、「阪神・淡路大震災で旧・神戸商船大学の学生と研究員が6人、職員なども含めて合計12人が犠牲になった。ずっと記憶に留めていく」。

12時33分
混声合唱団エルデの13人が指揮者に合わせて「しあわせ運べるように」を献歌。

【動画】「混声合唱団エルデの献歌」https://www.youtube.com/watch?v=oIfTyJkEi9U

12時35分
武田学長が献花。理事、教員らの献花が続く。

12時37分
遺族の献花も始まる。慰霊碑ではなく、プレートに花を供え涙ぐむ遺族の姿も。

12時46分
慰霊碑の後方、正門階段上でも、多くの職員や学生が式典を見守る。去年までは、学生が通り過ぎるだけだった。

【動画】「慰霊碑の周辺には多くの学生や教職員が」https://youtu.be/ktvtNzzxrts

12時50分
教職員に混じって、現役学生も献花を始める。応援団員らが白菊を供え、手を合わせる。

12時59分
エルデの合唱隊も慰霊碑に花を供える。

13時00分
献花の列がまだ続いている。

13時05分
大学職員が、震災関連記事を掲載したニュースネット本紙の1月号を配布。

13時08分
献花を終えた武田学長がメディア研の長谷川記者の取材に答える。
「国立大学として震災を忘れずに、防災に取り組むことは重要。また、神戸大生に、自分の大学の学生が多く亡くなったということは今後も伝えていかないといけない」。

13時11分
慰霊碑前に遺族15人が声を掛け合って集合写真を撮影。報道各社もシャッターを切る。

13時15分
「亡くなった先輩がいると聞いて参列しました」という軟式野球部員の下井拓己さん(法4年)と藤岡真菜さん(保健4年)。報道関係者が、震災で亡くなった軟式野球部員、鈴木伸弘さん(当時・工3年)の母・綾子さんをみつけて引き合わせる。

13時35分
参列した遺族の多くは、下宿跡や東遊園地に向かうためキャンパスを降りる。学内関係者も、それぞれの部局に引き上げる。大学職員が、「お花がまだありますので献花しませんか」と残っていた学生に声をかける。メディア研の部員も、献花してを静かに手を合わせる。

14時00分すぎ
キャンパスは、元の静けさを取り戻す。

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