阪神・淡路大震災直後の様子をとらえた写真パネル展「#知らなかった震災25年」(主催=神戸大メディア研)が1月18日に最終日を迎えた。会場となった神戸学生青年センターロビーのタイトルパネルの下におかれたノートには、学生や教職員、市民およそ30人の想いが綴られていた。〈森岡聖陽、山本慶典〉
(写真:遺族のメッセージを見つめる市民 2020年1月18日午後)
これまでに写真パネル展は神戸大内で12月16日、17日と年をまたいだ1月9日の3日間開催され、のべ26人が来場した。今回、1月12日から18日の7日間、初めて学外で一般市民向けに開催された。
会場には、崩れたJR六甲道の駅舎や、倒壊した深江付近の阪神高速神戸線の高架など、キャンパス近くの被害の様子を記録した写真約20枚が解説とともに展示された。
また、メディア研がインタビューした、震災で亡くなった神戸大生9人の親やきょうだいのメッセージを抄録したパネルが随時会場に追加展示された。
期間中は写真を前にして当時の大変だった記憶を話す地域の中高年者や、初めてみる六甲の被災の様子に驚く学生など、幅広い世代が写真を通じ震災と向き合っている様子だった。
来場者に感想を自由に書いてもらうノートには、およそ30人が想いを綴っていた。
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(灘区の)篠原伯母野山に住んでました。39人もの神大生が亡くなられたんですね。私も3年震災ボランティアをしていました。荷物運びでボロボロになったワゴンを、神大ボラに寄付しましたよ。(元.灘地域助けあい ひまわりネットワーク IS)
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私は震災を経験していない世代です。身近な場所が、25年前にはこんなことになっていたのかと考えると衝撃を受けました。(神戸大 文学部4年)
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知っている学生さんが亡くなったので、いつも1.17には献花させて頂きに、六甲台の記念碑に行ってます。このような悲しみが無く、みんなが幸せでありますように。 (神戸市灘区六甲台町 TY)
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約25年前のことですか。忘れていることもたくさんあり、思い出すことができました。職場でも、震災を知る人が少なくなり、さびしく感じています。経験したことを忘れず、伝えたいと思います。(西宮の住民)
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学生がこうして遺族の方々にお話をきく活動をしているのはとてもすばらしいことだと思います。(神戸大 経済学部4年)
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いのちある限りはここ(灘区曽和町)から歩いて慰霊祭に…と誓ったが、もう今年は体調が許さない。残念。 (医師)
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あの時のことを思い出すと涙が出てきます。神大へ帰った時は(卒業生です)必ず慰霊碑に手をあわせております。
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今日朝テレビで見て来ました。私は震災の時は灘区にはいませんでしたが、今はこの灘区に愛着があり、本当に被害が大きかったことを知りました。ご遺族の方々の一言一言が本当に心に残ります。(垂水区生まれの主婦)
追伸 25年目に今の学生さんが、このような企画をされたことにも感銘を受けました。人の痛みや心に寄りそう若者たちに後世をつないでいきたいです。
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私も、今朝TVを拝見して来ました。あれから25年。風化させてはならないと、当時の写真を久し振りに見て、強く感じました。(TK)
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約40年前六甲台に通ってました。震災時は、仕事や自分の周りのことで手いっぱいでした。あらためてじっくりと当時を思い起こすことができました。
2020 1/16 経営学部30回生 TH
2020 1/16 工学部17 KK
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ありがとうございます!
2020.1.17. 神戸大学教員 RA(当時も)
どうもありがとうございます。
1995.1.17.神戸大学在籍中の留学生2人
2020.1.17.
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語り継ぎ学ぶことの大切さをあらためて感じました。
(堺在住 OK 当時、西宮市の学校に勤務)
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夢、希望をもって親元を離れて暮らす我が子が、自然災害とはいえ突然命を失う。親の気持ちを思うと、25年前のことは忘れてはいけないと思いました。
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私も今朝TVを見て来ました。
まだ生まれてすぐで記憶になく、身近に感じたことのない出来事でしたが、高校の母校の先輩のご両親にインタビューされてて、ぐっと親近感が湧きました。
(大阪市中央区 OT 米子東高校出身)
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地震発生時は大阪府にいました。今、神戸市で働くことになり、普段目にしている場所の当時の状況などが分かる写真を目にして、改めて被害の大きさを知ることができました。
これからも語りついでいくことの大切さを身をもって感じたので、今日、この写真展に来たことを周りの人に話してみようと思います。(堺市在住 OH)
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テレビを見て、姫路から来ました。
40年前、神大を卒業しました。
卒業後は、郷里に戻り(香川県)その後転勤になり、震災の時は静岡に住んでいました。
きょう、40年ぶりに、この六甲に来ました。阪急六甲と六甲道の中間くらいのところの「かじか荘」という、木造2階建の住宅に下宿していました。震災で、つぶれてしまったかな…と思います。帰りに、さがしながら歩こうと思います。
若い命が容赦なくうばわれてしまったことを、パネルで見、涙が出ました。
ご家族の悲しみは、25年たっても癒されることはないことを知りました。
(KN)
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昨年12月に神戸に引っ越してきました。神戸に来て震災というものが身近なこととして感じ、須磨区の震災巡りをしました。また、以前、競さんが震災で亡くなりたしか基金だったと思いますが、新聞記事で知り深く心に残っていました。
須磨区の震災巡りから長田区のモニュメント等をしらべていましたら、このパネル写真展があることを知り来ました。
競さんだけでなくたくさんの神大生の方々が亡くなり、もし震災がなかったら、優秀な人材として活躍されていたのだと思います。
その無念も感じながら、元大阪に住んでいた自分としては、震災について正しく知ること、体験はしていませんが聞いたこととして伝えることができれば…と思います。(IS)
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震災当時法学部4回生で、亡くなった森渉くんとは同級生でした。慰霊の集いも当時参加しました。
思いもよらぬ地震で命を失うことになった友人の無念を思わずにはいられません。
神大の後輩のみなさんがこうして震災について伝える企画をし、震災を知らなかった神大生の方々へ発信して下さったことを感謝します。
ぜひ次の世代の後輩の方たちにも語り継いでいただきたいと思います。(MK)
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忘れかけてた記憶、蘇りました、 天災よりも人災の被害大! (HS)
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Twiiterの情報をもとに訪ねてきました。
自分は震災当時生まれて間もなく、また地元が愛知県だったこともあり、阪神大震災についてあまり知らぬままこの歳まで生きてきました。
大学から神戸に来ましたが、神戸に来てからも震災についての実感をあまり持てずにいました。
しかし、神戸に6年住んでいると六甲・三宮の街並みも見慣れたものとなっていて、その見慣れた景色が震災で壊滅したような写真を見ることで、ようやく日常がいきなり破壊されてしまうことの怖さ、哀しさを実感できるようになりました。
自分のように震災を経験していないような世代にもこういった感情を与える機会を下さり非常に感謝しています。どうか震災の記憶が色褪せぬよう、これからも語り継いで下さい。(2020.1.17 神戸大学 農学研究科 修士2年 N)
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いろいろ思い出しながら見させていただきました。
「西尾荘」は友人が住んでいて、何回も泊まりました。
その友人は、地震の前にところに引っ越しました。
このような写真展は、記憶をつないでいくためにも
とても大切なことだと思います。 神戸学生青年センター HY
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忘れない、忘れさせない。(神戸大学OB FR)
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神戸出身で京都在住。
今日は滋賀の職場から東遊園地に行く途中に下車して寄りました。
若い人たちが語り継いでいこうとしてくれることが嬉しいです。
息子が神大をめざしてます。語り継いでいこうと思います。
遅い時間まで開けてくれてありがとう。(1.17.20:00 M)
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震災当時のマンション関係の問題点、経験したことをお伝えしたくて来ました。関心がおありなら連絡して下さい。T 2020.1.18.
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震災以降に神戸にやってきて、神大で学びました。
お世話になった先生方やいろいろな方も、震災を経験され、その後も様々な形で関わっておられます。
その体験を聞く機会や活動に関わらせてもらう機会があり、何か震災のことを知った気になっていた自分もいたのかなと思います。
自分に子どもが生まれたり、自分も歳を重ねてきたことも関係するかもしれませんが、あらためて当時の様子やご遺族の方の言葉を拝見し、自分が被災していたらどうだったかな、という想像がとてもリアルに感じられます。
風化させない、寄り添うってどういうことかなって、また自分なりに考えていきたいと思いました。ありがとうございます。(20202.1.18. 40代女性)
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1月17日 午前5:46に大学慰霊碑に手を合わさせて頂きました。皆様のお陰で大勢の現役学生の方々に関心を持って頂けて良かったと思います。夫が発達科学部の教員でした。しばらく研究室に家族3人避難していました。これからも宜しくお願い致します。
(東灘区 TM 69歳女性)
了
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