阪神・淡路大震災から27年。今年も昨年に引き続き、コロナ禍のもとでの開催となった震災慰霊献花式。前年より多い、7組9人の遺族がキャンパスの慰霊碑に花を供えた。故人の同級生や、クラブ活動の先輩・後輩、教職員にまじって、現役の学生も花を手向けた。<献花式取材班>
(写真:慰霊碑前で集合写真に収まる遺族や関係者ら。2022年1月17日13時24分)
阪神・淡路大震災から27年が経った2022年1月17日。この日の12時30分から、神戸大六甲台第1キャンパスでは震災慰霊献花式が行われ、参列者は1分間の黙祷を捧げた。藤澤正人学長をはじめとする大学幹部が慰霊碑に献花し、それに続いて遺族らが花を捧げた。新型コロナウイルスのオミクロン株の流行や遺族の高齢化などもあり、神戸入りを断念し参列を見送った遺族もあった。今回はニュースネットのライブ配信が試験的に実施されたが、慰霊碑から離れた場所で献花式を見守った人たちもいた。
献花式は13時から一般の学生や市民の献花の時間帯が設けられ、震災に関心を持つ現役の学生や学ラン姿の応援団長、震災当時を知る教職員の姿が見られた。
亡くなった学生のご遺族のコメント
▽戸梶幸夫さん(74歳)
当時経営学部2年 故・戸梶道夫さん<大阪府立三国ヶ丘高卒/バドミントン部>の父。
「どうしてもこの日だけは来ないと、という思いで毎年来ている。毎年ここ(神戸大慰霊碑)に来て、他の遺族の方とお話をするが、コロナ禍で来られない人がいて寂しい。今の学生にも震災のことを忘れてほしくない。」
▽戸梶栄子さん(72歳)
故・戸梶道夫さんの母。
「ここでほかのご家族と一年に一回会うのが楽しみだったが、コロナの影響で会えない人が多く、寂しい。ここに来ないと話せないことを話せる。この後、東遊園地に行ってくる。」
▽坂本秀夫さん(76歳)
当時工学部3年 故・坂本竜一さん<兵庫県立八鹿高卒>の父。
「もう元気で動ける間は、絶対に来ないと気が悪い。5時過ぎに起きて、お墓参りしてから車できた。息子が亡くなったのは西尾荘で、鈴木さんと遺骨探しなどを一緒にやっていた。」
▽上野政志さん(74歳)
当時発達科学部2年 故・上野志乃さん<兵庫県立龍野高卒/マンドリン部>の父。
「一年に一回しか来ないし、会えないけど、『久しぶりに会ったよね』という気持ちで来ている。」
▽加藤りつこさん
当時法学部2年 故・加藤貴光さん<広島県立安古市高卒>の母。
「今朝は震災の講演会があったので、昨日東遊園地に行って黙祷してきました。こんな時期だけど、献花式が行われてよかった。大学に来てよかったと思います。息子のことを忘れないで、この日はずっと神戸のことを思い出します。」
▽高橋和さん(立命館大4年)、国清彩さん(関西大3年)
「加藤さんの付き添いできた。今までも何回か訪れている。加藤さんのそばにいたい、亡くなられた息子さんが通っていた大学に来たい、という思いできている。壮絶な体験があったにもかかわらず、温かさを持っている加藤さんの性格に引き込まれた。加藤さんは寄り添ってくれるから、私たちも寄り添いたい。」
▽阪口真咲さん(48歳)
当時自然科学研究科博士前期課程1年 故・今英人さん<石川県立泉丘高卒/軟式庭球同好会、スキー同好会、湧源クラブ>の妹。
「昨年はコロナの影響で来られず、今年も時間をずらして参加したが、母親は来ていない。昨年は朝震災が起きた時間に起きて、その後は普通に過ごしたと思う。」
▽森尚江さん
当時法学部4年の故・森渉さん<大阪府立泉陽高校卒/軽音楽部Rock>の母。当時下宿していたアパートの大家の末吉種子さんとともに参列。
「悲しいことばかりです。」
▽磯部滋さん
当時教育学部4年 故・磯部純子さん<滋賀県立膳所高卒>の父。夫婦で献花式のあと慰霊碑を訪れた。
「下宿跡に訪れた後、毎年ひっそりと来ていた。あまりおもてだって騒ぎたくない。テレビで東遊園地などを見ているとにぎやかだなと感じるけど、実際にお参りしたら辛い。いつまでも悲しんでいられないけど、毎年この日だけは辛い。」
亡くなった学生の友人・知人のみなさん
▽安永倫子さん
当時経済学部3年 故・高見秀樹さん<鳥取県米子東高卒/応援団>の後輩。
「1月17日に行われる時は、毎年来ている。先輩(高見さん)が亡くなったのはいつまでも残念。神戸大に通っている娘を連れてきた。」
▽国司和丸さん
高見秀樹さんの1期後輩の第36代応援団長。
「(高見さんは)優しくて厳しい先輩だった。毎年来て、自分の一年の変化などを報告している。」
▽奈良崎武志さん
当時自然科学研究科博士前期課程1年 故・竸基弘さん<名古屋市立向陽高卒/ユースサイクリング>の同級生。
名古屋から来られない竸さんの母親とスマートホンをつないで、ビデオ通話で慰霊碑の周りの様子を見せていた。
▽兵庫県西宮市に住む女性
プレートの名前を指でなでて、花束を捧げた。「自分が中国に留学したとき、世話になった天津大学の先生の息子さんが、地震で亡くなった工学部研究生の溥建鴻さん(中国から留学)です。毎年来て慰霊碑に献花して、写真を先生に送っています。」
学生のみなさん
▽農学部3年の男女学生
「僕(男子学生側)が、来たかったから来た。朝も東遊園地に行ってきて、大学でもやっているなと思い、来た。大学の献花式に来たのは初めて。出身は関西じゃないけど、下宿で神戸に住んでいる以上は、知っておかないといけないと思っている。」
▽古田徳幸さん(応援団長)
「(先輩にあたる当時の)団長が亡くなった。やりたいことなどいっぱいあっただろうと思う。ご両親から団旗の寄付があった。両親にも伝わるほど熱い思いを持ってやっていたのだと感じている。『先輩頑張ります』という気持ちで献花した。」
▽浅井健一さん(保健学研究科 50歳)
「当時社会人一年目で、印象深い(できごとだ)。ボランティア派遣の仕事で、職場からも何人か神戸に派遣された。いつまでもあの日のことを忘れないために、今日ここに来た。」
教員のみなさん
▽藤澤正人さん(学長)
「時間はどんどん過ぎていく。年に1回献花式を行うことで1人でも多くの人の心に震災をとどめておくことができる。防災にも大学として取り組まなければならない。私自身、阪神・淡路大震災の当日の朝、神戸大学附属病院で当直をしていて、病院が大変な
状況になったのを覚えている。二度とこのようなことがあってほしくない。神戸に住む今の学生は震災を胸に刻んで次の時代に引き継いでほしい。コロナ禍でなければ、学内に周知して、学生も(献花式に)足を運んでほしかった。大学としても途切れることなく、この震災慰霊献花式を続けていきたい。」
▽萩原泰治さん(経済学部教授)
「働いている大学で行われていることなので、毎年来ている。当時は垂水に住んでいて、自分も周りもけがなどはなかったが、家が壊れた。」
▽正司健一さん(名誉教授)
「顧問をしていた部活の学生(森渉さん)が亡くなったので、(この日は)来ている。」
▽高田義弘さん(大学院人間発達環境学研究科人間発達専攻 准教授)
「当時、地震が起きて、すぐに大学に来て学生の安否確認をした。自衛隊が神戸大学内に基地を設営して救助にあたったが、隊員の人が生存者を救えなくて悔し涙を流していたのを覚えている。授業を通じて、学生たちに防災、減災の知識を伝えたい。」
▽新居昌明さん(大学職員)
「震災があった時、本部の5階にいた。窓から建物が燃えて煙が上るのが見えた。非現実的だった。他大学からの支援がありがたかった。」
了
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