私たちが紙面上やインターネット上などで目にするニュース記事の裏には、内容や構成を考える編集者が存在する。作田裕史さんは、ニュースサイト「AERA dot.(アエラドット)」の副編集長。ニュースネット委員会が以前取り上げた、神戸大学国際文化学研究推進センターの協力研究員である植朗子さんが、アエラドットで連載している人気コラム、『鬼滅の刃』考察記事の編集も行っている。
【後編】では、作田さんの編集者としての仕事を、ニュースネットが以前取り上げた、植朗子さんの『鬼滅の刃』考察コラム(参考=『鬼滅の刃』人気コラム著者 植朗子さんは伝承文学の研究員)という具体例に照らして聞く。また、記者として、編集者として、学術の重要性をどのようにとらえているのか、作田さんの見解を聞いた。なお、インタビューには植さんにも同席してもらった。
【前編】はこちら=https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/408886f29d52ba1e731064a4010abe3f
「『鬼滅の刃』に関する記事を出さないとな、とは思っていた」
記者)以前植さんにインタビューした時、『鬼滅の刃』考察コラムの連載が始まったきっかけは、植さんが「AERA dot.」に送った一通のメッセージだと聞きました。
作田)最初、植さんは代表メールに記事の見本を送ってくれました。代表のメールボックスには毎日大量のメールが来ます。すべてのメールに目を通すのですが、植さんのメールに気づいたのが私でした。当時は、ちょうどコミックス『鬼滅の刃』の最終巻が発売された頃です。『鬼滅の刃』に関する記事を出さないとな、とは思っていたのですが、漫画を分析して記事を書ける部員がいない状況でした。(植さんの)原稿を読ませてもらったところ、視点がしっかりしていて、ただの漫画論ではなくて、キャラクターに落とし込んで展開していけるという所感を持ちました。
編集長には、「編集権」がある
作田)そこで編集長に聞いて、(植さんと)やりとりしても大丈夫か確認しました。基本的に編集権(=記事を掲載するかしないかの決定権)は編集長にあり、後で編集長がやっぱり載せないと決めてしまうと二度手間になるからです。そのようなプロセスを経て連載が始まりました。
専門の視点からきちんと論じられているものを意識
記者)記事の出し方はどのように決めたのですか。
作田)はじめに鬼をテーマに書いてほしいとお願いしました。その当時、すでに(主人公の)竈門炭治郎の考察記事は色々なところで結構目にしていたので、せっかく書いていただくのだから、鬼の側から書いてみたら面白いのではないかと提案させていただきました。それを2021年12月の終わりくらいにアップしたらいきなり100万PVを超えて、これはすごいコンテンツになると思いました。
作田)そのあと人気が出て、植さんの記事なら読まれると思い、人間側のキャラクターの記事も出していきました。初期の頃は『鬼滅の刃』考察は、作品を読んでいない人が書いた粗っぽいものが多く見られたので、物語の中身を吟味し、なおかつ専門の視点からもきちんと論じられていることを意識しました。また、アニメにまだ出ていないキャラクターでも、AERA dot.で書かないと先に書かれてしまいそうなキャラクターは先に出しました。もちろんネタバレに配慮するというのは課題なのですが、当時は「漫画を読んだ人」をターゲットに記事を配信していました。ただ、「遊郭編」などアニメの続編が始まると、「漫画は読んでないけどアニメは見る」という人たちが参入してくるので、その時期からは微修正していきました。ネタバレがあるがゆえに「読まなければよかった」と思う人をなるべく減らしたかったからです。
(写真:植さんの考察記事をまとめて書籍化した『鬼滅夜話 キャラクター論で読み解く『鬼滅の刃』』(扶桑社)画像提供:清川英恵)
植さんならではの視点を重視
記者)植さんの記事を編集する中で、意識することはありますか。
作田)なるべく植さんならではの視点は生かしたいと思っています。実際に、植さんとの打ち合わせでも、視点をどこに置くかというところのやりとりが一番多くなっています。どの視点で何を読ませるか、ひとつのキャラクターを扱うとして、どこにフォーカスするか、もしくは他のキャラクターを絡ませるのか、時事的な要素を入れるのか、過去のストーリーを連携させるのか、今まで他では書かれてない斬新な視点があるか、などを考えます。
作田)また、編集部員でない著者に記事を書いてもらう時、最初は「著者の知識」と読み手の「読解力」に差が出ることが多く、文章が難しくなりがちです。そうした著者と読者との「差」は、特に大学の先生や専門家の記事を見る時には気をつけます。けれども、植さんの場合は幅広い読者に分かってもらえるように、わかりやすくかつ的確な言葉で書いてきてくれるのですごくありがたい。誰が読んでも分かりやすい、という文章はなかなか書けないものです。
植)私はいろいろな専門分野の方が集まっている大学院のセクションに所属していましたので、その当時から、誰に対してもわかりやすい説明をすることを意識していたように思います。
作田)結局、いくらいいコンテンツでも、商品として並んで目立たないと読まれないので、「難しすぎるもの」はやはりマーケットが狭いです。また、編集者として一番考えるのが、タイトルのつけやすさです。タイトルが弱くても、やはり商品として目立たず、読まれないですね。
植)他の方々との共同研究の時に、タイトル決めって結構揉めるんです。ワードチョイスによって、その人の好みの傾向やセンスがはっきりと出ますので(笑)。作田さんにご提案いただくタイトルは、いつもピタッとしっくりくるので、非常にありがたいです。
大学で習うことに価値が置かれ始めている
記者)最後の質問です。植さんにインタビューした際、作田さんは文化や文学研究の意義に理解がある方だと聞きました。このことに関連して、学術の意義について、作田さんのお考えをお聞きしたいです。
作田)私の世代だと、マスコミに限らずですが、社会人になると「大学までに学んできたことを全部忘れるように」という新人教育がされがちでした。「学校でやってきた学問や研究など『理論』から入るのではなく、ゼロから『経験』を積むことが一番いい」という考え方です。しかし、今は大学で習うことに価値が置かれ始めている時代だと思っていて、少なくとも大学生時代までに学んできたことを企業が重要視し始める段階に差し掛かっている。なぜかというと企業が人材を育成できないからです。人手不足で忙しいので、先輩や上司も新入社員をイチから育成する余裕がないのです。そうなると、ある程度の「形」を持って入ってきてほしいという要望が、企業の側にも働くわけです。その「形」は、企業ごとに違うんですが、大学で学んできたことと重なる部分は少なくありません。大学側もアクティブ・ラーニングやキャリア教育を通して、学生の実践的な能力を伸ばしていこうという姿勢が強まっているように感じます。
深い知識を持って伝えられる人が必要
記者)マスコミではどうでしょうか。
作田)ネットニュースで言えば、ネットの情報にお金を払う価値があるかどうかということを判断する時、「これは本物だ」というものにお金を払う層は、今後一定数増えるのではないでしょうか。その時に、専門家であったり、本当に深い知識を持っている人、それを伝えられる人が必要になってくると思います。マスコミも次第に変わっていくはずです。
記者)植さんから見て、学術の面で、マスコミの方にはどのような印象がありますか?
植)研究者が一般向けのウェブ記事を書く時、信頼できる編集者の方がおられるというのは非常に重要なことです。作田さんは、売れる記事を書きましょうとか、タイトルをキャッチーにしましょうとか、一回もおっしゃらない。われわれの専門知識や経験を大切にして下さる。こういった作田さんへの信頼が、私の「マスコミへの印象」になっています。作田さんのような方に、大学での学びが社会でもプラスになると言っていただけるのはうれしいことです。
作田)自分がやっている仕事は、社会全体から見ればごくごく狭い範囲です。外には広い世界が広がっていて、無関係に見えることがつながっていることもあります。学生時代には、一見無駄に思える勉強があるかもしれませんが、人間は常に合理的な選択をしているわけではありません。学生時代は、社会に出てすぐに役立つ「実学」だけを勉強すればいいとは思いません。
(画像:神戸大学六甲台第1キャンパス 六甲台本館)
学んできたものを仕事に最適化する
記者)どうすれば、大学で学んだことを社会に生かしていけるでしょうか。
作田)例えば大学でジャーナリズム論を学んだ人がいて、殺人事件の遺族に写真借りに行く意義はあるのかとか、犯罪被害者の家にマスコミが押しかけるメディアスクラムはやるべきではないとかいう意見を持ったとする。そこで業務命令を受けても動かなない態度を見せると、その人は「知識を盾に自分が動かない理由にする人」として敬遠されるというのが、今までの流れでした。
作田)だけど、今は取材の在り方も変わっています。自分が学んできたことと仕事とのギャップを感じたとき、「こうは変えられないか」と探求できる人は必要だと思います。例えば遺族を取材するときでも、メディアスクラムみたいに押しかけるのではなく、まず手紙を出してみたらどうだろうか、どのタイミングならアプローチしても遺族を傷つけないだろうかとか、そういうことを考えられる人だったら、自分が学んできたものを取材に最適化できる。また、仕事において、疑問を持つことは結構重要だと思っています。働きながら「これはおかしい」とか、「これはどうしてこうなってるのだろう」と考える時に、学問的なアプローチもヒントになると思います。解決の手がかりにするために、どんな本を読んできたか、どんな経験をしてきたかといったことを思い出せるのは、学問の非常に有用な部分だと思います。
作田裕史(さくた・ひろし)
1977年生まれ。立教大学社会学部社会学科卒。2010年、朝日新聞出版に入社。週刊朝日記者、AERA記者、アサヒカメラ副編集長を経て、2020年からAERA dot. (アエラドット)副編集長。
▼AERA dot.サイト=https://dot.asahi.com
了
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