阪神・淡路大震災の発生から28年となる1月17日の早朝、東遊園地(中央区)やともだ公園(灘区友田町)、琵琶町公園(灘区琵琶町)には多くの人が被災者の追悼に訪れた。<ニュースネット取材班>
阪神・淡路大震災が発生した1月17日5時46分。各地の献花台の周りには灯籠や街灯の光を頼りに、地域住民や遺族、友人、知人を亡くした人など多くの人が集まった。
▽東遊園地
東遊園地には、神戸市長や遺族、地域住民をはじめ、数百人近くの人が訪れた。献花台付近には、メッセージの書かれた灯籠が置かれた。灯籠で「むすぶ」の文字が作られた。
震災で上野志乃さん(当時発達科学部2年)を亡くした上野政志さんは、遺族代表として挨拶を行った。上野さんは、「がれきを目の当たりにして、助けられない無力さを感じた。震災の教訓を、生きている人間で活かしていくことが大切」と話した。
▽ともだ公園
下宿していたアパート跡の横にある灘区友田町のともだ公園では、阪神淡路大震災で亡くなった高見秀樹さん(当時経済学部3年)が当時所属していた応援団OB会長である山内さんや後輩の国司さんら関係者5人と現役の応援団員2人が、黙祷を捧げ、手を合わせた。
山内正嗣OB会長が、代表して「28年経ちました。四半世紀以上になるけど、高見くんにこうやって手を合わせることは大切なことだと思うし、忘れたらいけないと思います。(高見さんのご家族が寄付した)団旗についても現役も忘れずに活動してください。」と挨拶した。
また、インタビューには、「彼が下敷きになって現役最後で団長になった年に亡くなったことは残念で、悔しい。国司さん達とは、毎年ここで年に1度しか会えていないので、そういう場にもなっている。応援団の総会もオンラインでやっていて、他のOBと会う機会も今はあまりないが、今年から対面でもいいかなと思っている。」と語った。
高見さんとは応援団で1つ下の後輩であり、ともだ公園での黙祷では中心となって動いている国司和丸さんは、「毎年の今年1年で変わったところなどを高見さんに手を合わせながら報告している。昨日の夜から神戸に来ていて、この後は東遊園地に行って、午後には献花式に行く。」と話した。
田代浩也現応援団長(法3年)は、応援団長としてやっていく覚悟と、「団旗から見守っていてください」というメッセージを先輩である高見さんに伝えた。
▽神戸大学六甲台第1キャンパス震災慰霊碑
六甲台第1キャンパス慰霊碑前では人の姿は見えず、しんと静まりかえっていた。石碑のそばにはたくさんの花束やタバコなどが置かれていた。
▽琵琶町公園
琵琶町公園には、5時30分頃から人が集まり始めた。献花し手を合わせる人、集まった人と震災当時について語る人、遠くから様子を見守る人など、20人近くが追悼に訪れた。5時46分には黙祷が行われた。
了
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