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- 1.17を忘れない 娘亡くした上野政志さんが講演
阪神・淡路大震災29周年記念講演会(被災地に学ぶ会=主催、神戸大学生震災救援隊=共催)が、1月16日、神戸学生青年センター(神戸市灘区)で行われた。震災で上野志乃さん(当時神戸大発達科学部2年生)を亡くした父親の上野政志さん(76)が講演を行った。上野さんは志乃さんのエピソードや震災・虐殺などに対する自身の思いを語った。<奥田百合子、川﨑成真>
(写真:講演する上野さん。以下すべて2024年1月16日午後、神戸市灘区の神戸学生青年センターで)
阪神・淡路大震災29周年記念講演会「生きてこそ~1.17を忘れない」が1月16日18時から神戸学生青年センター(神戸市灘区)で開催された。講演を行った上野さんは、阪神・淡路大震災で当時発達科学部2年生だった娘の志乃さんを亡くしている。上野さんは「志乃の名は各地で(慰霊碑に)刻まれて半永久的に残るが、(本人に)生きていてほしかった」とその無念を語った。
震災が起こった1995年1月17日、志乃さんは友人2人とともに「10年後の3人の住居」という大学の課題に朝の5時まで取り組んでいたが、その直後に被災した。上野さんは志乃さんのことが心配になり、真っ暗な中ワゴン車で駆け付けた。志乃さんの姿を探していくつかのの避難所をまわるも、最後には瓦礫の下で埋まっているところを発見したという。
講演の序盤では昨今のトルコ地震やガザでの残虐行為といった話題に触れ、何もしていないのに死んでしまう人々についての思いを語った。また、過去に日本で起こった震災ついて「楽観バイアス」の影響で死者が出た事例を複数紹介し、過去の震災の教訓を生かすことの大切さも力説した。
講演の所々では、志乃さんの人生についても語られた。志乃さんは小さい頃から創作活動が大好きだったといい、中学生のころに志乃さんが風景を写生したときの様子を紹介。また、幼い頃、自転車に乗っている最中に転んでも泣かなかったというエピソードも話し「(娘は)知らないところで根性があった」と語った。
上野さんは「子供を育てているとお金は溜まらないけど、その報酬は子供の成長を楽しめること」と話す。先日の能登半島地震で3人の子供と妻を亡くしたという男性も「子供の成長を楽しみにしていた」と話していたといい、共感を覚えたという。
講演終盤ではドイツ人哲学者のアルフォンス・デーケンが提唱した「悲嘆のプロセス」を紹介。これを知るまで自身の精神状態に不安を持っていたというが、自身の感情もこのプロセスに当てはまっていると知って安心できたという。また志乃さんの死後、精神的に不安定になり1年ほど外出できなかった上野さんの妻が、子供を亡くした母親の集まり「さゆり会」に参加した際のエピソードも話した。
(写真:講演を聞く参加者ら)
講演の終了後は参加者同士のグループトークが行われ、講演を聞いた感想を共有した。とあるグループでは「ボランティア」の在り方にまで話題が及び、神戸大が能登半島地震の被災地でのボランティア活動自粛を要請したことの是非に関する議論が白熱した。
(写真:講演後のグループトークが白熱)
最後にはグループトークで出た感想や意見、上野さんへの質問をグループ代表の震災救援隊員らが発表した。あるグループでは「自分の命は自分の命である以上に他人の命」だということを体感したという感想が出たという。また、他のグループの救援隊員は、上野さんにボランティアに関することを質問。上野さんは丁寧に回答した。
全てのグループからの感想を聞いた上野さんは「いろいろな考え方はあると思うが、1つ1つの考え方が合わさって大きな力になったら嬉しい」と話した。
(写真:救援隊員の質問に答える上野さん)
志乃さんと同い年であるという被災地に学ぶ会代表の藤室玲治さん(震災救援隊OB)は「神戸大の学生なら、上野志乃さんのことを忘れないでほしい。阪神淡路大震災も大昔のことだとは思わずに忘れないで。能登半島地震について、(かつての震災で起こったことを)教訓にしてほしい。また、震災と切り離しても、子供を亡くした親の気持ちや生きることの大切さなど、今日聞いたことを頭の片隅に置いて、生きる上で力になったら良いと思う」と話した。
現在、佐用三河小学校アートセンターでは志保さんの遺品の展示が始まっているという。展示は2033年まで行われる予定。
了
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