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- 「1月17日が1年の始まり」 竸基弘さんのアルバイト先で友人ら集う
阪神・淡路大震災が発災した1月17日の前日である1月16日の夜、震災で亡くなった竸基弘さん(きそい・もとひろ、当時自然科学研究科博士前期課程1年)を悼み、親族や当時の関係者らが竸さんのアルバイト先だった現吉に集まった。この場所に集うメンバーにとって、「1年の始まりは1月17日」だという。震災から30年経った今、彼らはどんな思いをもっているのか。<佐藤ちひろ>
(写真:竸基弘さんの遺影とともにテーブルを囲んだ。2025年1月16日20時頃 神戸市東灘区御影中町の「現吉」で)
故・竸基弘さんのアルバイト先で 近親者や友人ら集う
阪神・淡路大震災から30年が経とうとする1月16日の夜、震災で亡くなった竸基弘さんが5年間アルバイトをしていた阪神御影の居酒屋「現吉」で、親族や当時の関係者らが集まり、募る思いを語り合った。
竸さんの母・恵美子さんは、「息子の青春時代の方たちとご一緒させていただくことで、心が救われる気持ち。『現吉』に集まるのは同窓会みたいな感じ」と話す。神戸在住ではない恵美子さんだが、この期間は神戸にやってくる。「神戸で迎える16日、17日が自分にとって一番落ち着く過ごし方だと改めて感じる。コロナでこれない間は、名古屋で黙祷をしたあと、基弘にゆかりの物を見たりしていたが、心ここにあらずだった」と語った。
(写真:談笑する参加者ら)
基弘さんの優しい人柄
当時竸さんと一緒にアルバイトをしていたという人は、「竸さんはややこしいお客さんの対応を率先してするなど、優しかった」と話した。現吉の前オーナーの妻である廣瀬陽子さんは、「1年生の頃から人望あり、たくさんアルバイトを連れてきてくれた。それまで熱心な学生はあまりいなかった」と話した。基弘さんの母・恵美子さんも「基弘は毎日忙しく駆け抜けていた。充実していたと思う」と話した。
1月17日が1年の始まり 震災から30年経とうと
「現吉」に集まったメンバーには、正月ではなく1月17日が1年の始まりだという思いがある。
学部時代からの友人である奈良﨑武志さんも1月16日に「現吉」に来る習慣があり、「現吉」はほっとする場所だという。「会社の人はみんな自分が1月17日は会社を休むと分かっている」という。震災から30年が経つことについて「30年何も変わらない。時間が止まっているとは言えないけれど、年を取って、時間が経っているんだなと思う。(自分は)結婚して子供もできて、時は過ぎているけど(思いは)変わらない」と話した。
(写真:左から、基弘さんの妹・朗子さん、母・恵美子さん、小崎さん、奈良﨑さん)
竸さんがリーダーとして所属していた、ボランティア活動(県の子供会の冒険隊)の3年先輩だった小崎恭弘さんは、「6700人が亡くなっていて、30年(交流が)続いている人が何人いるのか。『現吉』には、40人から50人集まった時もあった。最初はずっと泣いていたが、自分らも変化があった。みんな、孫(基弘さんの甥)が生まれたら泣けなくなってきた。悲しいけど消化できるのは(竸基弘さんの)両親の人柄があってこそ」と話した。震災から30年経ったことについては、「社会にとってはいろいろな意味で区切りがあるが、時間は関係ない。何かが変わったり、終わる訳ではない。人が亡くなることに折り合いはなかなかつかない」と話した。
また、基弘さんの妹・朗子さんは、「気持ちは変わらないけれど、もう30年たったかという気持ち。節目に感じる思いも。そんなにたったかという。この間大きな地震が何回もあり、本当に自分たちだけのことではない。地震大国なので私たちだけじゃなく似たような思いをされている人の存在を感じてきた」と話した。
震災を語ることへの抵抗 忘れる権利
震災のことを話すことについて、奈良﨑さんは「言葉が文字になるのが嫌だ。思いが文字にはならない。聞かれると考えてしゃべってしまうが、それは本当に素直な思いなのか」と話した。
また、小崎さんは「自分の周りの人も亡くなり、思い出したくない、つらいという思いがある。この時期になると震災のニュースが多く、思い出したくないことが沢山ある。復興と言うが、なかなかできない。竸のことに関しては、ずっと立ち止まったまま毎年同じ話をしている。忘れていくようなことも沢山ある。忘れる権利もあってほしいし、あってもいいと思う」と語った。
当日は来られないけれど 家族で慰霊に
竸基弘さんと同じ研究室に所属し、仲の良い友人であった菅章二さんは、「現吉」での集いには参加していないが、1月11日に神戸大の慰霊碑を、家族とともに訪れた。2020年以来コロナ禍もあり訪れていなかったが、今年は震災から30年ということで慰霊碑を訪れたという。
菅さんは、竸さんの遺体を見つけた際の様子を涙ながらに語った。一緒に慰霊碑を訪れた菅さんの妻は、「初めて(章二さんの)涙を見た。こんなに酷いと思わなかった。意識しないで過ごしてきたが、主人の大事な人が亡くなった話を聞き、震災について学んだ」と話した。
(写真:慰霊碑に手を合わせる菅さん一家)
亡き息子のつながりで
竸基弘さんの母・惠美子さんは、「みんな心にしっかりと基弘を感じてくださって、覚えていてくれている。亡くなって初めて分かったこともある。息子の生きていた証があり、元気をもらうことが多い。他愛もない話ができる幸せがある。この会がなかったらもっと落ち込んでいてブルーだったかもしれない。コロナで5年集まることができなかったことで、当たり前じゃなかったと感じた。基弘は相手の幸せを喜べる子だからきっと幸せ、そんな友だちがいて幸せ」と話した。
1年に1度「現吉」での集いができていることについて、恵美子さんは「改めてご縁ができた方とお会いできて、とりとめのない話ができるので心が落ち着く。(この集いで)新たな1年が始まる思い。人のご縁は財産で、このお店がなかったら集うところはない、すごいご縁」と語った。
【関連記事】連載『慰霊碑の向こうに』8 故・竸基弘さん =母・恵美子さんと妹・朗子さんの証言=(2020年1月アップロード):https://bit.ly/48un9RU
【関連記事】あなたのことを忘れない 神戸大学四十四人への追悼手記(1996年1月17日付紙面から):https://kobe-u-newsnet.com/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm
【訂正】「関連記事」のリンクに誤りがありましたので修正しました。お詫びします。(2025年1月20日17:05 編集部)
了
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