平成12年3月5日に起きた大日岳遭難事故から今年で10年が経つ。亡くなった溝上国秀さん(当時=文・2年)と内藤三恭司さん(当時=都立大理学部・2年)の両親は今日、手記「息子たちの命を無駄にしないために」を自費出版。国立登山研究所は今年3月、事故以来中止していた冬の研修を10年ぶりに再開する。
【詳細記事】
◎大日岳遭難事故から10年 ワンダーフォーゲル部~2010年3月5日 ◎伝える命の大切さ 大日岳遭難事故から9年~2009年3月5日 ◎安全な登山研修願う 大日岳遺族が和解報告~2007年9月15日 ◎9月15日に報告集会 大日岳訴訟和解を受け~2007年8月21日 ◎国と遺族が和解 大日岳遭難事故~2007年7月28日 ◎大日岳事故国が控訴 遺族の思い~2006年5月14日 ◎大日岳事故に判決 国に損害賠償命令~2006年4月27日 ◎大日岳遭難事故 署名17万7000筆に~2006年2月11日 ◎大日岳遭難事故 山頂のポール折られる~2005年3月29日 ◎約5万筆の署名を提出 大日岳事故の遺族ら~2005年3月5日 ◎きょう署名を文科省に 大日岳事故遺族~2005年3月4日 ◎引率講師を不起訴処分 大日岳文部省研修遭難~2004年6月9日 ◎大日岳遭難「国は真相を」 故・溝上さんの母 民事裁判にかける~2004年6月9日 ◎10万人の署名提出へ 大日岳事故の遺族ら~2004年3月2日 ◎溝上さん発見から1ヶ月 仲間と歩いた6年~2000年8月11日 ◎ワンゲル部員ら、応援歌で別れ告げる~2000年7月20日 ◎溝上さんの葬儀、20日に明星高校で~2000年7月14日 ◎溝上さんと家族が確認 大日岳遭難から4か月~2000年7月12日 ◎大日岳で遺体発見 ワンゲル部の溝上さんか~2000年7月12日 ◎立山遭難事故 ヘリでの捜索も停滞~2000年3月16日 ◎ワンゲル部にHP開設の支援を提案 SCIN~2000年3月13日 ◎捜索をネットでみまもる学生・教職員 メールもあいつぐ~2000年3月10日 ◎風強くヘリは午前のみ飛ぶ 明日は捜索活動休止~2000年3月11日 ◎ヘリの捜索午後は中止 明日以降、当面継続~2000年3月10日 ◎地上からの捜索 いったん断念~2000年3月10日 ◎今日も終日吹雪 溝上さん捜索再開のめど立たず~2000年3月9日 ◎吹雪で捜索始められず 1.5メートルの新雪~2000年3月9日 ◎八日も捜索できず 吹雪が続く大日岳~2000年3月8日 ◎ワンゲル部員が一部帰神 学生課に報告~2000年3月8日 ◎溝上さんらの捜索進まず 今日も無念の猛吹雪~2000年3月8日 ◎猛吹雪にヘリ捜索も終日できず 大日岳遭難~2000年3月7日 ◎「わずか3メートル」で明暗分かれる 脱出した学生証言~2000年3月7日 ◎学生課から職員を新たに派遣 交替で現地の様子を報告~2000年3月7日 ◎「早く見つかってほしい」 救助された学生が会見~2000年3月6日 ◎1100m下の斜面で電波発信 2日目の捜索を終える~2000年3月6日 ◎大学が対策本部を設置 現地に学生課長派遣~2000年3月6日 ◎ヘリでの捜索を再開 地上の捜索は見合わせ~2000年3月6日 ◎1960年代、相次ぐ大学山岳部遭難で設置 文部省登山研修所~2000年3月6日 ◎家族とワンゲル部員 研修所に駆け付ける~2000年3月5日 ◎午後六時に捜索打ちきり 明日の朝再開へ~2000年3月5日 ◎今回は22大学が参加 「文部省登山研修」初の遭難~2000年3月5日 ◎ワンゲル部員、立山連峰で遭難 行方不明~2000年3月5日
【写真】壇上に上がり、挨拶する大日岳遭難事故遺族ら。(9月15日・尼崎労働福祉会館大ホールで 撮影=森田篤)
◎大日岳遭難事故について
◎「伝える命の大切さ」
第一回(2006年5月17日)
第二回(2007年8月21日)
第三回(2007年9月3日)
第四回(2008年2月7日)
第五回(2008年3月5日)
◎リンク
「大日岳遭難事故を考える」
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