遺族「忘れられたときが娘の死」
2017年1月13日 記者=瀧本善斗
震災で犠牲になった上野志乃さん=当時(発達・2年)=の父、政志さんは毎年命日に、志乃さんが亡くなった神戸市灘区琵琶町の下宿跡を訪ねる。「娘が本当に死ぬのは忘れられたとき」という思いは22年間変わらない。
【写真】上野政志さん(昨年12月23日・佐用町で 撮影=瀧本善斗)
志乃さんは友人の川村陽子さん=同=とレポートを書きながら夜を明かし、地震に遭ったとみられる。18日朝に駆け付けた政志さんが、がれきの下から2人の遺体を発見した。
娘の死を忘れまいと震災後、下宿跡に木製の小さな慰霊碑を建てた。新しく駐車場ができることになった2011年1月、土地所有者の了解を得て碑の代わりに、志乃さんの名前と写真を刻んだ御影石を設置したが、同年8月に石の行方が分からなくなった。政志さんに無断で撤去された可能性がある。
「遺族に区切りはない。むしろ周囲の意識が変わっていく」と話す政志さん。昨年4月の熊本地震でも、プライバシーが確保されていない避難所の映像と、娘を探し訪ねた避難所の風景が重なった。「阪神・淡路の教訓が生かされていない」
近年は命日に、佐用町の自宅から脚立と木地蔵を持ち込み、下宿跡で手を合わせる。「ご近所の理解もいつまで続くか……」と不安を抱きつつ、今年も1.17を迎える。
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編集後記
神戸大学ニュースネット委員会
阪神・淡路大震災特集2017
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