1月17日で、阪神淡路大震災からまる8年を迎えた。44人の犠牲者が出た神戸大では正午から、六甲台学舎の震災慰霊碑前で学長や遺族ら約100人が参加して、犠牲者を悼む献花式が行われた。【1月17日 神戸学NEWS NET=UNN】
8回目の震災の日、神戸は前日までの雪のちらつく寒気が一転して、雲一つない青空が広がった。慰霊碑前では前日から、「震災聞き語り調査会」らが竹灯ろうを並べ、遺族や友人などを迎える準備を整備。当日は朝から訪問者が色とりどりの花を捧げていた。「時間が経つにつれて、逆に記憶が鮮明になる」と故・白木健介さん(当時=経済・3年)の父、利周さん。遺族らにとって、「1・17」の存在意義は変わらない。
正午には学長はじめ、副学長や学部長らも参列。神戸港からの汽笛が追悼の音を響かせるなか、参列者らは静かに黙とうを捧げた。献花式では教職員だけではなく、一般の訪問者も参加し、犠牲者に白い花を手向けた。式後、「亡くなった方へのせめてもの務めとして、神戸大を世界一流の大学にすると誓った」と野上智行学長。
また、遺族らにとっては、式はお互いの交流の場でもある。「ここが心のよりどころ。ここに来ればみんなに会える」と、震災で姉を亡くした坂田さん。ひさしぶりの会話を弾ませながらも、慰霊碑に手をかざして故人を偲ぶ人の姿も見られた。
~遺族たちの1・17~
◇故・高見秀樹さん(当時=経済・3年、元応援団長)の母、初子さん
高見初代さんは毎年、1月17日の朝に秀樹さんが住んでいた下宿を訪れ、現役やOBの応援団員らとともに午前5時46分に祈りを捧げ続けている。
震災から8年が経ち、普段は毎日の忙しさのなかで当時のことを思い出すことは少ないという高見さん。「今日だけは、あの子(秀樹さん)のことだけを考えてあげられる」と、目を潤ませていた。
◇故・竸基弘さん(当時=自然科学研究科博士前期課程・1年)の妹、朗子さん
「すごくいいお兄ちゃんでしたよ」。生前の基弘さんを、朗子さんは満面の笑みと涙を浮かべながら振り返る。基弘さんを訪ねて神戸に行ったときは、色々なところに連れ回してくれたという。当時の基弘さんの友達からは「恋人みたい」とひやかされるほど仲がいい「自慢のお兄ちゃん」だった。
8年が過ぎた今でも、震災の話をしていると突然泣き出してしまうことがあるという朗子さん。「いつでも、お兄ちゃんがいないことはつらい」と悲しみは深い。
そんな朗子さんにとって、慰霊碑での集いは基弘さんと同じように亡くなった6000人以上の人々に思いをはせる意味も併せ持っている。「傷ついたのは自分だけじゃない」ことを改めて感じるという。
◇故・今英人さん(当時=自然科学研究科博士前期課程・1年)の父、英男さん
「今年も慰霊碑に(英人さんの)名前があるのを確かめにきた」と話す今英男さん。神戸大以外にも、神戸のあちこちの慰霊碑を回って碑に刻まれた英人さんの名前を手でなぞっている。「英人がまだ学生でいるようなかんじ。(8年前から)時間のズレがない」と英男さん。慰霊碑をめぐるのは震災の事実を確かめるためでもある。変わりつつある神戸の街並みを見下ろしながら、「慰霊碑がある間は来るんやろな」。
◇故・加藤貴光さん(当時=法・2年)の友人の母、松本久子さん。加藤さんの母、律子さんとともに訪れた。
亡くなった貴光さんと、自分の娘が友人だった松本さんは、新聞で加藤律子さんの存在を知った。以来、加藤さんとは毎日のように連絡を取り合う交際が続いている。「彼(貴光さん)は亡くなったけど、人は死んでからも誰かに影響を与えてつながっていく」と松本さん。「お互いに、不思議な縁ねって言ってる」という律子さんとの仲も、貴光さんが残したつながりだ。
◇故・工藤純さん(当時=法・院1年)の母、延子さん
工藤延子さんは、震災関係のイベント情報などを綴った「THE17th」を定期的に発行するなど、遺族や関係者間と積極的に情報交換を続けている。「私の一年はこの日から始まる」と毎年欠かさず慰霊碑を訪れる。
一般の学生はほとんど参加しなくなった追悼式に、「遺族と今の学生の意識違うのは当然」と工藤さん。ただ、「たくさんの先輩が亡くなったことだけは思い出してほしい」と願いを込めた。
◇故・白木健介さん(当時=経済・3年)の父、利周さん
現在は震災関係のボランティア団体の理事長を務め、多忙を極めている白木利周さん。活動を始めるきっかけになったのは健介さんの死だった。利周さんは「この慰霊碑が原点。ここに来ると、健介に『おやじはまだまだやることあるだろ』と言われる」と笑顔で慰霊碑に向かっていた。これからも、「絶対に忘れることのない記憶」を胸に、命の大切さを伝えていくことが白木さんの目標だ。
【写真 下段】慰霊碑に手をかざしながら故人を偲ぶ遺族ら
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