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- 森渉さんしのび ゼミやサークルの仲間集う
阪神大震災で亡くなった森渉さん(当時法学部4年)の追悼記念会が1月22日行なわれ、五百旗頭ゼミや軽音楽部の仲間らがジャズやスピーチで亡き友人をしのんだ。【1月22日 神戸大NEWS NET=UNN】
森渉さんは、当時法学部4年。東灘区本山中町のアパート1階で被災。倒壊した建物の梁の直撃を受けて亡くなった。(震災1年追悼手記 http://home.kobe-u.com/top/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm、震災5年追悼手記 http://www.unn-news.com/sinsai/tokusyu2000/)
会場のフロントリーブ本店は、チャペルを改装したレストラン(写真左)。正面の白い壁に、ほほ笑む森さんの写真が掛けられた。 森さんがサックスを担当していたという軽音楽部のバンド「chess(チェス)」の当時のメンバーが、リズム&ブルースなどのナンバーを演奏。厳かな建物に、ベースやピアノ、サックスが響いた。(写真右)
メンバーの一人は、「演奏で悩んでいた時も、いつも君は『大丈夫。いけてる、いけてる』と励ましてくれた」とエピソードを語り、「私たちは、一生懸命生きます。いつか『おつかれ!』と言って、乾杯しましょう」とメッセージを読み上げた。
ゼミの指導教官だった五百旗頭眞教授も、マイクの前に立ち、「ゼミでは、けっこう(議論を)やりあっていた。この激動の冷戦後を一緒に生きたかった。でも彼は、『いいから行ってください』と言っているだろう」と、涙をこらえてスピーチ。(写真左)
森さんが内定していた読売新聞大阪本社で当時、人事を担当していた福良純一さんは、「まだ、天国からは原稿は来ない。早く原稿書いてこいよと言いながら、これからも1.17を過ごすと思います」と、遺影に語りかけた。
当時の同級生もいまは30代前半。会場には、子どもを連れた夫婦もめだった。
バンドの後輩の武藤恭子さん(96年経済卒)は、「震災から3日目に、森さんのことを聞いて(信じられず)被災地をくぐり抜けて商船大の遺体安置所に行きました。名簿には森さんの名前がありました。帰りは、西宮北口まで歩いて、電車にのったら泣けてきて、京都まで涙が止まりませんでした」と、目を潤ませながら当時を思い出した。
最後に、姉のゴスペル歌手の森祐理さん(写真左、http://www.moriyuri.com/yuri/disco.php)が、 関東大震災の時に作られた賛美歌「とおきくにや」や、阪神大震災後に作られた「しあわせ運べるように」を歌い、「あなたしかできないこと、あなたしか会えない言葉、大切な役割があります。これが、弟の死を通して学んだことです」と結んだ。?
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