北アルプスの大日岳で2000年3月、旧文部省主催の冬山登山研修会に参加した溝上国秀さん(当時・神戸大2年)と内藤三恭司さん(当時・東京都立大2年)の2人が雪庇(せっぴ)崩落によって死亡する事故で、遺族が国に損害賠償を求めた訴訟は今年7月に和解が成立し、遺族は5年半を数える裁判生活を終えた。【8月21日 神戸大NEWS NET=UNN】
事件発生から7年。裁判開始からは5年。そして原告勝訴の判決が下った1審判決からは1年2ヶ月が経過していた。国の控訴で始まった第2審は、原告の主張が全面的に認められる内容で和解が成立した。5年半に及ぶ「原告」としての生活を終えた、国秀さんの両親に話を聞いた。
和解内容について、国秀さんの父・不二男さんは「120%の勝利」と話す。「100%」とは、一審判決で認められた国から遺族へ対する損害賠償が再び認めらたこと。そして「20%」とは国が遺族への謝罪をすること、冬山登山研修会を「安全検討会」を設置することで国が再開を検討することである。
この「20%」は、一審判決では認められていなかった。国からの謝罪、研修会の再開は遺族側がずっと切望していたもの。それだけに「この部分が認められたのが一番大きい」と母・洋子さん。「次の安全登山へ結び付けられた。いままで支援してきてくれた山の関係者の方々の期待に応えられたと思う」と話した。
今月4日、国の関係者が国秀さんの両親のもとへ謝罪に訪れ、事故の再発防止も誓った。「(国秀さんの)遺影とともに生きてきた7年間分の悲しみを知ってほしかった。これ以後の再発はないだろうと感じたし、今後の研修会に生かしていってほしい」。今後への期待は大きい。(記者=塚本京平)
*この記事は昨年5月から始まった連載、「伝える“命の大切さ”」の続編として掲載しました。この連載は今後数回にわたって掲載する予定です。
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