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- 「慰霊碑に行こう」 メディア研の[震災25年]への取り組み
2020年1月17日に迎えた「阪神淡路大震災25年」を、神戸大生にもっと知ってもらおうと、メディア研は情報をいろいろな形で発信しました。そのきっかけは、1年前の、ちょっとショッキングなできごとでした。<メディア研 震災取材班>
学生がだれも来なかった 震災24年の慰霊献花式
阪神・淡路大震災が発生したのは1995年でした。神戸大は学生だけで39人が亡くなる大きな被害を受けました。
震災24年にあたる2019年1月17日に行われた大学主催の献花式。メディア研の2人の部員が六甲台第1キャンパスの慰霊碑を取材しました。
ここで、2人は大きな違和感を感じました。
(写真:震災24年の献花式。参列者に現役の学生に姿はなかった。 2019年1月17日12時31分撮影)
学長以下、大学の幹部や、ご遺族の姿はありましたが、現役の神戸大生は一人もいなかったのです。
▽関連記事「花を手向け24年を思う 大学慰霊碑で献花式」
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/5bc0d6cb19de5bc13c14a02d6771857e
メディア研の結成メンバー5人がそろっての2019年1月23日のミーティングで、「神戸大慰霊碑前の取材報告」が行われ、
・学長、遺族、友人らが順に献花する横で学生は通り過ぎていく
・震災献花式をなぜ学生は知らないのか
こういう報告が、取材した玉井代表や、2年生の中島部員から報告がありました。
そして、次の震災25年に向けて、「もっと慰霊碑のことや献花式を知ってもらう情報を発信したらどうか」ということが話し合われました。
(写真:結成メンバーがそろったこの日のミーティングで、阪神淡路大震災25をテーマにすることが話し合われた。 2019年1月23日19時30分撮影)
キャンペーン まずは「うちわ」作戦
メディア研は、もともと勉強会のサークルでしたが、取材した情報を発信する活動もしたいという声が部員から上がり、2018年4月からは、ブログとツイッターで学内の情報を発信する活動も始めました。
そこであらためて、震災25年に向けてのキャンペーンを行おうということになりましたが、具体的にどうするかは手探りでした。
まず最初は「うちわ作戦」でした。
(写真:活動PRのうちわを配るメディア研の部員 2019年7月24日午前 鶴甲第1キャンパス陸橋で)
まだまだ無名のメディア研の名前と、ツイッターのアカウントを知ってもらうために、PRうちわを7月24日、学内で配りました。
そのうちわの裏面には、小さくですが、「2020年1月17日 阪神淡路大震災から25年」と印刷しました。
これが震災25年キャンペーンの、第一歩でした。
(写真:うちわ裏面には、メディア研が運営する媒体のQRコードとともに、最下段には「2020年1月17日 阪神淡路大震災から25年」と印刷されている)
夏に始まった遺族インタビュー
そして、夏には、ご遺族のインタビューが始まりました。
1回2時間を超える聞き取りを、のべ10回行い、テキストに起こしていきました。ブログに掲載するまでには時間を要しました。
《遺族インタビュー実施日》
8月14日 故・坂本竜一さん(当時22歳、工学部3年)の父・秀夫さん 【記事】
9月 8日 故・高見秀樹さん(当時21歳、経済学部3年)の父・俊雄さん、母・初子さん 【記事】
9月27日 故・工藤純さん(当時23歳、法学部大学院修士課程1年)の母・延子さん 【記事】
10月20日 故・戸梶道夫さん(当時20歳、経営学部2年)の父・幸夫さん、母・栄子さん 【記事】
10月22日 故・高橋幹弥さん(当時20歳、理学部2年)の父・昭憲さん 【記事】
11月 4日 故・竸基弘さん(当時23歳、自然科学研究科)の母・恵美子さん 【記事】
11月 4日 故・中村公治さん(当時21歳、経営学部3年)の母・房江さんと、妹・和美さん 【記事】
12月 1日 故・森渉さん(当時22歳、法学部4年)の母・尚江さん 【記事】
12月20日 故・白木健介さん(当時21歳、経済学部?課程3年)の父・利周さん 【記事】
12月29日 故・竸基弘さん(当時23歳、自然科学研究科)の妹・朗子さん 【記事】
(写真:最初のインタビューは、坂本秀夫さんだった。当初、合宿で行うはずだったが台風で中止になり、急きょ時間と場所を変更して行われた。 2019年8月14日午後、神戸市灘区内で)
11月の学園祭で、写真パネル展とトークセッション
11月9日、10日に行われた学園祭『六甲祭』を、震災25年を広く学生に知ってもらう“キックオフ”のイベントにしよう、ということになり、「パネル写真展」と「トークセッション」を行いました。
パネル写真展は、『あの日、何があったのか』というタイトルで行いました。六甲や深江といった学生の暮らす街が阪神・淡路大震災でどのような被害を受けたのか。象徴的な写真を、大きなパネルで展示しました。
(写真:メディア研の六甲祭室内企画の震災写真パネル展『あの日、何があったのか』。多くの市民が訪れた。 2019年11月9日午後、六甲台本館206号教室で)
写真展の会場の一角で行われたトークセッションには、震災当時の神戸大を知る2人の卒業生にお越しいただきました。
一人は、当時、法学部を卒業して司法研修生だった津久井進さん。被災直後の神戸大でボランティア活動をしていました。
もう一人は、当時、自然科学研究科の学生で、学内新聞サークル「ニュースネット委員会」を立ち上げて、震災報道を続けた里田明美さんです。
(写真:現在は、弁護士として活躍し、日弁連の災害復興支援委員会の委員長の津久井進さん。 2019年11月9日午後、六甲台本館206号教室で)
(写真:いまは、広島の中国新聞の記者をしている、里田明美さん。地震当日の大学周辺の様子を生々しく語った。 2019年11月9日午後、六甲台本館206号教室で)
震災直後の混乱。多くの学友を失った悲しさ。たくましく立ち上がったボランティアのお話を聞きました。
パネル写真展『あの日、何があったのか』には、2日間で700人もが訪れました。ところが、多くが親子連れなどの市民で、学生はほとんど来場しませんでした。
私たちは、頭を抱えました。学園祭は、震災キャンペーンの事実上の第1弾でしたが、学生には全くといっていいほど届かなかったのです。
学生の関心はさっぱり…巡回写真パネル展
震災25年の日まで、あと2ヶ月となる中で、せっかく作った写真パネルを、なんとか学生に見てもらおうと、学内向けに展示を行うことが決まりました。
12月16日、17日、そして1月9日に、学内でいちばん学生が集まる鶴甲第1キャンパスのラーニングコモンズで、タイトルを変えて『#知らなかった震災25年』展として行いました。
12月16日、17日の2日間の手応えは?
ところが、これもさっぱりでした。
▽関連記事「震災写真パネル展2日目終える」
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/12c959b54af10c20e67de51552a05da5
来場者は初日4人、2日目は13人の、あわせてたった17人。ほぼ同内容を展示した六甲祭では家族づれなど約700人が訪れていただけに、数字だけを見ると学生の関心の低さが際立ちました。
遺族インタビューの連載開始 あいつぐ新聞・放送の報道
(画像:メディア研のウェブログで連載が始まった、震災で亡くなった学生の遺族へのインタビュー。最初の回の戸梶幸夫さん、栄子さんへのインタビューは2019年12月4日にアップロードされた。)
この巡回写真パネル展とほぼ同時に、12月上旬から、ご遺族のインタビューの連載が、メディア研ウェブログで始まりました。
こうした動きを、マスコミ各社が取材してくれました。まず、12月17日の毎日新聞が、夕刊で大きく取り上げてくれて、1月になると、朝日新聞、読売新聞、産経新聞もメディア研の活動を紹介してくれました。
(画像:毎日新聞大阪本社版 2019年12月17日付夕刊社会面。メディア研の遺族インタビューの活動が、大きく取り上げられた。)
そんななか迎えた、1月9日の震災写真パネル展の学内での最終日には、これまでで最多の1日あたり17人が来場。私たちは、少しだけ手応えを感じるようになりました。
そこで、1月12日(月)~18日(土)には、六甲台地区キャンパスの「通学路」にあたる阪急六甲の神戸学生青年センターで、震災写真パネル展の第3シーズンを開催することにしました。
学内に写真付きの告知ポスターを掲出し、ツイッターでは「#117に向き合う」、「#慰霊碑に行こう」のハッシュタグをつけて発信しました。
1月11日には、神戸新聞とNHK『ニュース7』(全国放送)がメディア研の遺族インタビューを紹介。さらに1月16日朝のNHK『おはよう関西』もメディア研の活動を放映しました。
(画像:2020年1月11日のNHK『ニュース7』から。)
そして、1月16日深夜から17日朝にかけてのNHK『ラジオ深夜便』には、メディア研のメンバー5人が生放送に出演し、17日昼の慰霊献花式を告知しました。
こうしたマスメディアによる神戸大慰霊碑についての報道が、大きな追い風になっていきました。
ツイッターで、授業で、教員も呼びかけた
相前後して、国際協力研究科の木村幹教授がツイッターで献花式に触れ、「多くの人たちの命日なんだ」と発信しました。「『この日は追悼の日で、同じ大学の学生が亡くなったことに思いを馳せよう』と大学生に思わせることが、震災を学生に伝える際に重要だと思う」と、メディア研の取材に答えています。
また、国際文化学研究科の辛島理人准教授は、休校になった授業の振り替えとして献花式についてのリポート提出を学生に求めました。西宮出身で両親が被災したという辛島准教授は、「私も西宮に生まれ育って思い入れがある。学生に(震災のことを)知ってほしいという思いがある」とNHKラジオのインタビューに答えています。
そして、学生たちは慰霊碑にやってきた
そして迎えた、震災25年の1月17日の正午過ぎ。
神戸大学六甲台第1キャンパスの震災慰霊碑の前には、約230人の教職員や、震災で犠牲になった学生の遺族が集まりました。
そして、そこには、約40人の現役の学生・留学生の姿がその中にあったのです。
(写真:献花する学生たち。 2020年1月17日12時51分 六甲台第1キャンパス慰霊碑で)
事前のメディア研のツイッターアンケートで、「『慰霊碑』の存在を知らなかった」という神戸大生は58.2%いました。
一方で、献花式に参列した学生からは、「同じように進学した神大生が下宿先で亡くなったという話は、悲しい」(理学部・男子)、「初めて(献花式に)来たんですけど、(式のことを)知っていたら(これまでも)来ていたと思います」(保健学科・4年女子)という声が聞かれました。
後輩団員たちを連れて参列した応援団の宮脇健也団長(経営4年)は、「震災を知らない1年生にも伝えたいと思った。今まで震災に対して現実味を感じていなかったが、僕たちと同じような年代の人が亡くなったことを知り、(震災を)実感した」と話していました。
▽関連記事「現役学生約40人が参列 若い世代が加わった今年の献花式」
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/5e0214ef8fa59fe9ff8ff1f43e5ed51e
「献花するためにできた長い列をみて、若い世代が次の世代に伝える準備が進み始めたのかなと感慨深かった」というのは、1年前の献花式で学生の姿がないと指摘した中島星翔部員。
「今回の活動は震災を知ってもらうことが目的だった。嬉しいことにメディア研のブログを読んで知ってくれた人、教員から話を聞いて献花式に来てくれた人など、理由は様々だが、行動に移した人が生まれたのは進歩だと思う。
ただ、まだまだ知らない人はいて、深江キャンパスは現役生が参加していなかった。今後も継続して伝える活動を発信しなければならないと思う」。
知れば行動できる。そのために何を伝えるか
11月の六甲祭以降、メディア研は震災関連のツイートを、『神大PORTAL』のアカウントで173回発信しました。
この間のツイートでもっとも注目率が高かったのは、1月13日21時35分に流したツイート。
「『阪神・淡路大震災』があったことは知ってたけれど、学部の先輩が、サークルの先輩が47人も亡くなっていたなんて知らなかった」というテキストに、1995年3月に行われた神戸大の合同慰霊祭と六甲台、深江の慰霊碑のあわせて3枚の写真を組み合わせたものです。
広告配信のプッシュ形式にしたところ、1月19日深夜までに、約1万7600回表示され、うち64%(約1万1000回)は写真をクリックしたりリツイートしたりするなど、何らかのアクションを伴う高い関心(エンゲージメント)をもった閲覧でした。
マーケティング関係者によると、64%は「極めて突出した数字」だということです。
(画像:エンゲージメント率が極めて高かった1月13日夜のツイート。)
多くの神戸大関係者がフォローしているアカウントでのこの反応に、私たちはこう分析しました。
「行動できないのは、震災のことを知らないだけ。ひとたび情報を提供すると、高い関心を示すのではないか」。
慰霊碑に学生が来なかったのは、震災で先輩が亡くなったことや、下宿街が被災した事実を知らなかっただけで、いったん、震災の実相を受け止めれば、様々な行動に結びついていくのではないか。
これが、震災25年の活動を終えた神戸大メディア研の、「中間報告」です。
了
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