【震災の日の神戸大は…】 ② 落研の後輩の安否確認をして… 落語家・桂吉弥さん(当時・教育学部5年)の証言

阪神・淡路大震災直後の神戸大学周辺は、どのような事態に見舞われたのか。落語家の桂吉弥さんは、当時教育学部5年生だった。灘区記田町の下宿アパートで、睡眠中に被災。阪急六甲に住んでいた彼女(後の奥様)のもとに徒歩で駆けつけました。そして、落語研究会の後輩の安否確認をして、仲間と無事を確かめ合いました。なかには下宿が倒壊して、一時行方が心配された後輩もいたといいます。

<2020年1月16日から17日にかけて『NHKラジオ深夜便』で、桂吉弥さんと神戸大メディア研の玉井晃平代表が語り合いました。桂吉弥さんや関係者の許可を得て、その骨子を掲載します。>

(写真:震災25年を迎える直前、ラジオのスタジオで語る桂吉弥さん<右>。2020年1月16日23時ごろ)

●小学校の教員養成課程の5回生だった

吉弥)1995年当時は、22歳、神戸大学の学生でした。留年しちゃったので、5回生。教育学部初等教育科っていうところで、教員養成課程の小学校の先生を養成する課程にいました。採用試験に受かっていれば、卒業後は小学校の先生になるんですけど、私はもう落語家として、前の年(1994年・平成6年)の12月に初舞台を踏んでたので、プロの落語家になっていました。

●灘区記田町のアパートの3階で寝てた

吉弥)1月16日の晩は、アルバイトを終えて、遅くに神戸市灘区記田町というところ、アパート、2号線に徳井という交差点があるんですけど、その南側の「福寿荘」っていう下宿アパートの3階で寝てましたね。

吉弥)僕は落語研究会に所属してましたけど、その落研のメンバー、それからOB・OGはほんとラッキーというか大丈夫やったんですけど。でもまあ、友達とか関わりのある人で、僕らが普段、一緒に学んでいたり、あるいは何か食堂で、すれ違ったり、本当に横に居てた人たちが命を落として、僕らが助かったっていうのは本当にもう、紙一重というか。そういうのはすごく思いますね。

聞きて)下宿アパートのあった神戸市灘区記田町は、阪神電車の近くですね。
吉弥)そうですね。阪神電車って本当に、普通電車に乗って頂くと分かるんですけど駅から駅の間隔がすごい短い。
聞きて)次の駅が見えてますよね。
吉弥)御影の駅から、西にすぐ見えている石屋川っていう駅が最寄り駅なんですけど、石屋川駅で降りて、ちょっと西の方へずっと、歩いていったところに下宿があって。ですから僕の3階の部屋からは、阪神電車の線路が、高架になってますけど、それが見えたり、神戸製鋼さんの煙突が見えたりとかしたんで、そんなとこですね。

●前夜はアルバイト終えて、銭湯に行った

聞きて)その1月17日。1995年1月17日の朝は、吉弥青年は寝てた?
吉弥)寝てたんですね。六甲の駅前で「ピザハウスF」っていう、学生がよく行くようなお店があって。僕はそこでずっと、アルバイトしてたもんですから。
聞きて)そうなんですね。
吉弥)で、夜遅くまで仕事して、ママに、何かまかないみたいなちょっと食べさせてもらって。で、失礼しますって言ってバイクで、ちょっと大きめの125ccぐらいかな。大きめのバイク乗ってそれで帰ってきて、寝てたんですね。
聞きて)何時頃、帰ったんですか?
吉弥)どうやったかな。多分ね、お風呂もね、うちになかったので、オタフク温泉という鷹匠中学校の北側にあるお風呂屋さんに行って。そこももうお馴染みでね。いつも何か12時半の終い風呂に「あんたギリギリに来て」て言われて、女将さんと大将に怒られて。「もう最後まで入るんだったらちょっと掃除もしていき」とか言われて。デッキブラシで掃除までさせられたり。
聞きて)じゃあ、本当に今はこの時間(23時過ぎ)ぐらいにお風呂にね。入ってたのかな。
吉弥)そうですね。で、下宿に戻って、ほんで寝てたんですな。

●すんごい揺れた 電柱が真っ二つに折れていた

吉弥)で、その5時46分。すんごい揺れまして、で僕は、北枕で寝てたので、北に頭を向けてる。僕の住んでるところは本当に建物が南北に激しく揺れたんですよ。たまたま僕の周りにある冷蔵庫とか本棚が、南北にこう、ぐっちゃぐちゃって倒れたので。僕の上には物が乗ることなく、釣ってある照明も、まあラッキーにも落ちることもなく。
聞きて)じゃあ、ケガをせずに?
吉弥)布団はかぶりましたけどね。「えー何やこれ」っていう。関西で、そんな、地震なんて起こるなんて、思ってもいませんし。
聞きて)じゃあ地震だともう、分からない感じ?
吉弥)いやドーンって揺れてザァ-ってこう、ザンザンザンザンザンで揺れだして。それがうわぁーって時間が続いて。でもう、頭から、布団かぶって、えっ、なんやわからん、なんやわからん、何が起きてるんや、夢じゃなかろうかみたいな。
聞きて)揺れの時間というのも結構…。
吉弥)長かったです。それで、収まって。シーンとね、本当ね。まあ明け方ですし、それでえっと思って布団をめくると、本棚は倒れてるし、冷蔵庫もひっくり返ってるし。

吉弥)それで、ちょうど南側にある窓、ガラス窓を開けると、目の前に立ってる電柱が途中から真っ二つに折れてました、ポッキリ。で、何かガスのにおいっていうか、ガス漏れっていうか。そういうにおいが漂ってきて。あーこれは、とんでもない大きな地震やなと思って。
聞きて)真っ暗なんですよね。
吉弥)真っ暗ですね。


(写真:先輩の桂吉弥さんに話を聞く、メディア研の玉井晃平・代表。2020年1月16日23時ごろ)

●とりあえず阪急六甲の彼女のとこに行かなきゃと

吉弥)え〜どうしようと思って、当時、携帯電話とか無いですし。
聞きて)まだ普及していなかったですね。部屋には電話はあった?
吉弥)ありました。でも電話をかけるより、当時、今の嫁さんですけど、付き合ってた彼女が阪急六甲のそばに下宿してたので。
聞きて)2期上の落研の先輩でしたね。
吉弥)先輩ですね。たぶん自分一人でいるのが怖かったっていうのもあるんですけど、とりあえず彼女のとこに行かなきゃと思って。お隣に住んではる人とか、上下の人とかに声かけるっていうよりも、まず、彼女のとこがどうなってるかっていうので。もう、着のみ着のままジャンパーかなんか着て、家を出て。

●こんなときにバイクのエンジンがかからない

聞きて)彼女どこに住んでたんですか?
吉弥)阪急六甲の、ちょっと東側かな。線路のすぐ北側。
聞きて)じゃあバイクを使えばもう割とすぐ。10分以内には行けますね。
吉弥)1階に下りていって、止まっているバイクをこう、エンジンをかけようとしたんですけど、ガソリンが入ってなかったんですね。あんまり。
聞きて)そんな時に。
吉弥)それで、キックでかけるタイプのやつやったんで、焦れば焦るほどエンジンかからないので、もういいやと思って。それでもう歩いてというかもう小走りで。ずっとその徳井の交差点からまっすぐ北に向かって、神戸大学のほうに向いて道が続いてるので。
聞きて)緩やかな坂道を上っていきますね。
吉弥)道がもう、何か隆起してるというか、でこぼこになってるし。周りの建物はもうシーンとしてるけど、何か、「大丈夫?」とか。「〇〇ちゃん!」とか「お父さん!」とか。そんな声が聞こえてる中を、とりあえず彼女の家に向かって歩いた。
聞きて)それは何時ぐらいですか? 5時46分に地震があって…。
吉弥)まだ暗いですね。もう一人でいるのが怖かったので。多分もう、5分もたたない間に家を出てると思いますね。
聞きて)6時前ぐらいですね。彼女はどうでしたか。
吉弥)1階に彼女が住んでるので、わぁーと走りに行って、それでドンドンドンドン叩いて。「大丈夫かー?」って言ったら、「大丈夫!」と。
聞きて)声が返ってきた?
吉弥)「良かった」と思って。でもその扉に向かって食器棚が倒れて、「扉開けられへんから」言うて。「あんたそんな急に来たけど、もうこっちも大変やねんから」みたいな。「ごめんごめん」言うて。「とりあえず開けてえな」言うて、開けてもらって。あぁ良かったなと思って。もうぐっちゃぐちゃですけどね。

●僕は大阪の、彼女は島根の実家に無事を知らせた

吉弥)そこで、ちょっと我に返って、とりあえず僕は(大阪府の北部の)茨木市が実家で、彼女は島根県の安来というところの出身なので。
それで、それぞれの親に連絡しておこうと。まだ時間的にね、6時過ぎやったと思うんですけど、通じたんですよ。
聞きて)電話がつながったんですか。
吉弥)それでうちのお母ちゃんに電話したら、茨木市でも揺れたんですけど、そんな大した揺れじゃないので。まさかこんなことになるとは思ってませんので、母親も「あぁ大丈夫大丈夫。うん、揺れたよこっちもなんか本棚から本が何冊か落ちるぐらいで。平気平気」と。僕は「いやお母ちゃん、とんでもないことになってんねんけど、とりあえず俺は無事やから」。「何言うてんの」みたいな感じですよね。
聞きて)局地的だったから、大阪のお母さんにとっては「どうしたのかな」という感じだったかもしれないですね。
吉弥)大阪でもね、揺れた所は揺れてるし、被害に遭われたこともあるんですけど、うちの親のところは大丈夫やったので…。
聞きて)まさか生命のピンチにあったとは思わなかった。

聞きて)彼女も?
吉弥)彼女も島根のお母さんに電話して、「大丈夫やった」と。
聞きて)通じた。
吉弥)それで、その彼女のお母さんもそんなにね。
聞きて)島根だと,松江で震度3。
吉弥)そんなにひどいって思ってないから、それぞれ「まあ大丈夫よ」みたいな。後で聞くと、テレビでヘリコプターの映像とかで阪神高速が倒れてる、長田から火の手が上がってるっていうのを見た途端に、えらいこっちゃって。彼女のお母さんは島根のJRの安来の駅に駆けていって。「娘が神戸にいるから行きたい」って言ったら、JRの人が「いや、お母さん今から行っても電車動いてないし、行けません」って言って。JRの職員さんに止められたって言ってました。
聞きて)お母さんの気持ちも分かりますよね。一刻も早く神戸に行きたいって思った方はいっぱいいたでしょうね。

●ふと頭に浮かんだ 「落研の後輩たちは大丈夫なのか?」

吉弥)とりあえずまあ彼女と私は確認できたけど、落語研究会の僕、部長を3年生の時にして。でも、引退して4年生、5年生ですけど、まあ言うたら、落語研究会の後輩たちは大丈夫かなっていうのが頭に浮かびました。

吉弥)「みんなどうしてんねやろう」みたいな。それでそこから、ちょっと、歩いて、知ってるやつの所に、大丈夫か、みたいなところで。
聞きて)実際に行ってみた?
吉弥)そうですね。
聞きて)安否確認ですね。みんなどんな様子だったんですか?
吉弥)みんなの「あいつは大丈夫でした」、「こいつは大丈夫でした」と、それぞれ情報が集まってきました。

●下宿が潰れた後輩 実家に帰っていて助かった…

吉弥)「もしみんな家におれなかったらその彼女の所に来たら」みたいな話をしたりして。とにかく情報を集めて。それでバイクを取りに行って、ほんなら落ち着いて掛けたらエンジンが掛かったりして。
聞きて)焦ったから。それはしょうがない。
吉弥)ほんなら(ほとんどの部員は)大丈夫やて分かったんですけど、1人、カブトヤドボン君っていう芸名で活動してた彼の下宿が、1階が潰れてるって。
聞きて)どこだったんですか場所は?
吉弥)神戸大学からずっと坂下りてきて、高羽の交差点のすぐ東側の川沿いのとこだった。
聞きて)一王山の麓の辺りですね。
吉弥)それで2階に、カナマルさんっていう人が住んでて。僕の先輩なんですよ。6年生なんですけど。
聞きて)まだ先輩がいはったんですね。
吉弥)「俺の2階の部屋が1階になってもうてる」と。「ドボンの部屋がない」と。
聞きて)1階がグシャッと潰れて、2階が上に乗っかってる感じですね。
吉弥)そのドボン君どうなってんねやろって言ったら、成人式で、西神中央の方に実家があると思うんですけど。そこに帰ってたんですよ。下宿に戻っていなかったので…。
聞きて)大丈夫だと。ああそれで間一髪。
吉弥)はい。

●一時は覚悟した後輩のこと 生死の境は紙一重

聞きて)一時は、ドボン君もしかしたら、ということ考えましたよね。
吉弥)覚悟しました。でね、後で聞くとね。その先輩が落語の練習しようって言って1月17日の朝、練習しようって約束してたんですよ。
聞きて)落語の稽古しようと。
吉弥)約束してたんですけどその先輩がちょっとズボラなやつで、「17日の朝、練習しよう言うたけど、もうやめとこうか」って言って、ドボン君は「それやったらボク実家におるんで、16日中に下宿に戻っておこうと思いましたけど、もう1泊しますわ、実家に」と言って。
聞きて)じゃあ朝から練習することに決めてそのまま実行してたら、ドボン君はアパートに戻ってたっていうんですね。
吉弥)そうなんですよ。「いやもうほんまお前、よく練習やめとこって言ったよな」って言ってそいつをみんなほめましたけど。
聞きて)ほんとによかった。
吉弥)成人式の日が近いってこともあったので、成人式のために神戸に戻っていって被害にあった方たちもいるし。で、地方に、ドボン君みたいにね、実家に帰ってて大丈夫やったっていう人もいるし…。
住田)どこに運命の線が引かれるかっていうのは、わからないですね。

●大阪の実家に避難 西宮北口まで10キロを歩く

吉弥)でもう、次の日に、ほかにも下宿がつぶれたりなんかした後輩たちがいたので、「とりあえず、僕の実家は大阪の茨木で、僕の後輩のウキワ君の家は高槻市に近かったので、そこにとりあえず、行こうぜ」って言って。
聞きて)避難?
吉弥)避難して、それで18日に、みんなでバイク押したり、着の身着のまま、持てるもん持って、ずーっと西宮北口から東は阪急電車動いてるっていうのを知ってたので、みんなでそこまで行こうって言って、歩きましたね。
北郷)10kmぐらいありますね。
吉弥)いやー、もうね。ほんと民族大移動っていうか。もうありとあらゆる世代の人がとにかく西宮北口に行こうっていう。僕らと同じような思いを持ってる人がたくさん居たんだと思うんですけど。
聞きて)余震もひっきりなしでしたし、ガスも止まっている。電気も止まっている。とりあえず、ちょっと神戸から出ようかっていう方が大勢いましたね。
吉弥)みんな歩いて。
聞きて)まずは被災地を1回出ようっていうね。

●「なんか、できへんかったかな」の思いでボランティアを

聞きて)その後、吉弥青年は、被災地でボランティア活動をしましたね。
吉弥)地震直後は必死だったので、彼女のとこ行ったり、落研のメンバーの安否を確認したりしてたんですけど。ひょっとしたら、僕のね、男の力で助けられる人がいたかも分かんないし。っていうのがずっとあって。で、とりあえず皆茨木へ、高槻へ、実家へ行こうって言ったんだけど。なんかね、できへんかったかなっていうのがあったんで。

吉弥)ちょうど、朝日新聞の厚生文化事業団というところのキャンプリーダーの活動もしてたので、朝日新聞の人たちが、王子公園のところで基地を作って、取材もですけど、ボランティアの活動を始めたんです。


(写真:桂吉弥さんの記録帳「桂吉弥落語の歴史」。2020年1月16日深夜)

●六甲小学校の避難所で「東の旅」 これがプロ3回目の高座

吉弥)それから、落語の内弟子に入るというのは決まってたんですけどね。うちの師匠(桂吉朝)と米朝師匠に言って…。
住田)内弟子に入るのを、ちょっと延ばされたんですね。
吉弥)はい。
聞きて)で避難所で、慰問の落語会もされた。
吉弥)そうなんですよ。
聞きて)ちょっとね、今日ネタ帳持ってきて下さってます。
吉弥)「桂吉弥落語の歴史」と言って、デビューからの会場がどこでどんな落語で僕は何をやったかというのを書き留めてるんですけどね。
聞きて)本当に一般的な大学で使うようなノートですよね。プロになって最初は12月2日、平成6年。『吉兆学習塾』での出し物が「東の旅」ってあります。震災の前の年の12月ですね。
吉弥)ですから、これでプロデビューですよね。
聞きて)1月8日、これ豊中ですかね、『岡町落語ランド』。ここでやっぱり「東の旅」をやります。そして3回目は、(神戸市灘区の)六甲小学校になってますね。
吉弥)そうねんですよ。
聞きて)平成7年の2月16日木曜日。震災から、ちょうど1か月ですね。
吉弥)で、そのボランティアしてて。うちの師匠の使い走りっていうか、世話になってるところに、何かもうガスも何も無いから、お前ちょっと電気で使えるお鍋みたいな、ホットプレートみたいな物あるから、それを持って行ってくれとか。そういうのをバイクで運んだりしてたので。で、2月16日にうちの師匠が六甲小学校で、避難してはる人のために、慰問というかね、落語会するからお前トップで出ろって言われた。
聞きて)じゃあ被災地での落語会っていうのは言ってみれば、吉弥さんの落語人生のかなり原点。
吉弥)3回目ですね。


(写真:記録帳には、六甲小学校の避難所での一席も記されている(最上段左)。2020年1月16日深夜)

吉弥)「東の旅」やってますけど、「東の旅」の発端というね。そんな面白い話じゃないんですよ。
聞きて)そうですか(笑)。
吉弥)何か、まあうちの師匠もね、喜んでくれるか分からんけど行ってみようや言うて。
聞きて)でも、みなさんどうでした反応は、その時。
吉弥)すごい喜んで下さって。
聞きて)落語家人生のスタートの1つが被災地の六甲小学校であったというネタ帳を見せて頂きました。ありがとうございました。

●神戸大で何が起きたかを学ぶこと

聞きて)神戸大の記録を見てましてもね、やっぱり救援に駆けつける、無事を確かめるっていう時にクラブですね。部活動・サークルの仲間が真っ先に駆けつけてる。あるいはゼミとか、研究室仲間。そういうつながりっていうのはこういう時はやっぱり大切ですよね。
吉弥)大切だと思いますね。やっぱり振り返ると、それぞれの電話番号も当時は覚えてたし。

聞きて)いまは、LINEのグループがあって、そこに連絡先があって。じゃあ、それを押したら連絡できるから、それでいいやみたいな。でも、それがもし何かの拍子で、不通になったらどうするか?いざという時どうするか。あれがダメならどうするということを、考えておかないといけないですね。
吉弥)本当に、僕もバイクの燃料を満タンにしとけばよかったなと思うし、自転車もパンクしてたやつもおるし。そういう移動手段とかも。
聞きて)そうですね。
吉弥)あとね、もう、すごく思ったんですけど、次の日、明けて1月17日。皆片づけしながら、乾電池式のラジオを家の表とかに置いて、大きな音でそれを流しながら安否情報とか。いろんな音楽も流れてましたけど。みんなそのラジオをつけて、それを聞きながら片づけしたり、掃除したり。
聞きて)情報を共有する。つながりますね。そこでね。
吉弥)そういう時に電気がなくても使える物とか。暗いときは懐中電灯ですけど。そういうのは本当に必要だなと思いましたね。

聞きて)今の神戸大生に伝えたいことはありますか。
吉弥)何ていうかね。同じ神戸大学に学ぼうと思って入られたわけですね。そこでやっぱり起こったことっていうのは、それを学ぶために入学したっていうか。そういうところはあると思うんですよね。
聞きて)神戸大の先輩が、当時どんな体験をしたか。それを受け止めて、さらに後輩に伝えていきたいと思います。

(写真:阪神大震災25年の前夜、桂吉弥さんを囲んで。2020年1月16日深夜、ラジオスタジオで)

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