1980年に第1回が行われた六甲祭も45年の歴史を重ねてきました。しかしその六甲祭に至るまでの“前史”がありました。1960年代の神戸大の学園祭の名前は、シンプルに「大学祭」だったのです。
神戸大学大学文書史料室所蔵の各学部の「卒業アルバム」や『神戸大学新聞』、放送委員会の『KUBC PRESS』(1981年創刊)、ニュースネット委員会の『神戸大学NEW S NET』(1995年創刊)などの学内メディアの記事でたどってみます。<編集部>

<画像:1963年の卒業アルバムから 六甲台正門階段の装飾>
●「開学記念祭」から「大学祭」へ名称変わる
1961年5月、最初の「大学祭」を終えて、5月26日付の『神戸大学新聞』は4面の準トップで、「大学祭を総括する」という9段の大きな記事を掲載しています。
この中で、中央執行委員会企画委員会の議論の中で、「開学記念祭は単なる記念式典でも、文化祭でもない。それは文化サークル、研究ゼミの成果発表、諸組緒の問題点を統合して学内に一大論争をまきおこし、我々の学問文化の重要性を認識し、学内の民主化を促進し、大学全体の向上をはかる」という基本方針が打ち出されたと報じています。「そして名称を、『大学祭』とあらためたのである」と、改称の背景を述べています。
新制神戸大学がスタートした1949年(昭和24年)の開学記念式典に続いて、翌1950年から1960年まで11回続いた「開学記念祭」。
入場者の少ない講演。サークルの単なる発表会。スローガンが浸透しない市中行進。そうしたいわば“マンネリ”を払拭しようという意欲から、「大学祭」へ名称変更があったと、記事から推察できます。

<画像:1965年の卒業アルバムに掲載された市中パレード 児童文化研究会が「スローガン」を掲げている>
●1961年から10年続いた「大学祭」
この年は、「名称も企画委の構成も変わり、脱皮が試みられた」(『神戸大学新聞』1961年4月11日付紙面)とあり、「自主的・民主的革新による神戸大学の発展を目指して」がスローガンとなっている(同26日付紙面)と報じられています。
1962年11月11日の『神戸大学新聞』2面中段には、「大学祭計画進む」という記事があります。
この時代の大学祭は開学記念日に合わせて5月に開催されていたので、半年前のこの頃に中央執行委員会が選んだ7人の常任委員が準備を進めている状況が掲載されています。
大まかな方針として、「中心テーマとして軍縮問題と憲法をとりあげ、主にそのイデオロギー面を追求していく」方針だと記事にあります。

<画像:1964年の「 第15回大学祭」の際の六甲台正門 1965年卒業アルバムから>
●毎年掲げられるようになった「テーマ」
「大学祭」と衣替えした神戸大の全学学園祭には、やがて毎回<テーマ>が明確に掲げられるようになり、1963年には「冷戦構造の変革と憲法擁護のために」、1966年は「虚像の中の拠点の実像〜新しい大学理念創造を」、1967年には「日本の中のベトナムの戦場」、1968年 第19回「葬り去るべきは何か そして蘇えらせるべきは」となっています。

<画像:1968年の卒業アルバムから 市中パレード>
1968年(昭和43年)の暮れから始まった大学紛争。
1969年3月の卒業式、4月の入学式が中止に追い込まれる中、「反大学祭」が行われたと各学部の卒業アルバムにはありますが、どのようなテーマで、どのような形態で実施されたかは、記事には見当たりません。
●1970年からは5月開催から11月開催に
そして、1970年の第21回「大学祭」のテーマは、「ひと、ひとにあう」。
この年から、11月開催となります。そして翌1971年からは、全学開催ではなく、「六甲台祭」をはじめとした学部別の<学園祭>の時代に入っていきます。
【神戸大学大学祭 テーマ一覧】
1961年 第12回 <確定したテーマが記事に見当たらず>
1962年 第13回 <確定したテーマが記事に見当たらず>
1963年 第14回「冷戦構造の変革と憲法擁護のために」
1964年 第15回「冷戦構造の変革のために〜この起点から明日の軌道を構築しよう」
1965年 第16回「薔薇の逆説の彼方に」
1966年 第17回「虚像の中の拠点の実像〜新しい大学理念創造を」
1967年 第18回「日本の中のベトナムの戦場」
1968年 第19回「葬り去るべきは何か そして蘇えらせるべきは」
1969年 第20回 反大学祭 <テーマが記事に見当たらず>
1970年 第21回「ひと、ひとにあう」(この年から11月開催に)
※各学部『卒業アルバム』、『神戸大学新聞』の写真、記事、見出しから。
○ ○
この連載は、六甲祭実行委員会などの協力を得て、社会科学系学部の同窓会「凌霜会」の機関誌『凌霜』に、2024年1月号から連載されている記事を、転載しています。
▼連載記事リンク
【六甲祭ヒストリー】① 新制・神戸大学「開学記念式典」が戦後の学園祭の出発点
【六甲祭ヒストリー】② 1950年代の「開学記念祭」
【六甲祭ヒストリー】③ 1960年代の呼称は「大学祭」
【六甲祭ヒストリー】④ 1971年〜79年の「六甲台祭」
つづく
コメント
この記事へのトラックバックはありません。












この記事へのコメントはありません。