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- 震災で亡くなった加藤貴光さん 被災地・西宮でゆかりの音楽会
阪神・淡路大震災で亡くなった神戸大生・加藤貴光さん(当時法学部2年)ゆかりの音楽会「折り鶴平和音楽会」が、西宮市で開かれた。ほぼ満員の会場で、母・りつこさんは、「今まで足が向かなかったこの夙川の街が、悲しい街ではなくなりました」と語った。<川﨑成真>

(写真:「加藤貴光 折り鶴平和音楽会」は加藤貴光さんの被災した街で行われた 2025年12月20日18時32分 西宮市の夙川公民館で)
デュオグループVientoが、神戸大生だった加藤貴光さんを祈念して2018年に始めた「加藤貴光 折り鶴平和音楽会」(主催=広島と福島を結ぶ会、共催=神楽町自治会)が、西宮市の夙川公民館で行われた。
広島出身の神戸大生・加藤貴光さん(当時法2年)は、阪神・淡路大震災で西宮市夙川にあった下宿マンションが倒壊して亡くなった。21歳だった。
貴光さんは、大学入学時に母のりつこさんあてに、「親愛なる母上様」という手紙を手渡していて、その文面に震災後の2007年、音楽家の奥野勝利さん(故人)が曲をつけ、テレビなどで取り上げられ広く知られるようになった。奥野さんの縁でりつこさんが熊本で活動するVientoの2人とつながり、「音楽会」は、広島と熊本で交互に開催されてきた。今回が7回目だ。
加藤さんの亡くなったマンションと音楽会が開かれた公民館は、夙川を挟んですぐの場所。近くの西宮市神楽町で活動する米田和正さんの声掛けで、この地での開催が実現。今回は、貴光さんの52歳の誕生日にあたる12月20日の開演となった。

(写真:デュオグループVientoの吉川万里さん=右=と竹口美紀さん)
Vientoの吉川万里(ばんり)さんが、「貴光くんがきょう(ここに)呼んでくれました」と語りかけ、コンサートは開幕。
吉川さんの哀愁を帯びたケーナと、竹口美紀さんのシンセサイザーで繰り広げられる壮大なインストゥルメンタルの楽曲が、会場を包み込んでいった。
吉川さんは、「貴光くんの最期の場所、Nマンションはこの会場のすぐそばです。今日行ってきました。本当は怖かった」と切々とした口調で報告。
友情出演の井上敬子さんが歌う「アベマリア」の歌にあわせて、貴光さんの幼少期から、大学時代までの写真がステージのスクリーンに映し出されると、目頭を押さえる来場者も。

(写真:「アベマリア」の歌をバックに、ISA国際学生協会や神戸大の仲間とのスライドがスクリーンに映し出された 画像の一部を加工しています)
第2部では、詩人のアーサー・ビナードさんが、自作の絵本「ドームがたり」を朗読し、広島の原爆ドームの“思い”を語ったあと、りつこさんも登壇。
故郷のミシガンでは(地震で)揺れた経験がなかったため、来日してからおきた阪神・淡路は、「もし自分(の命が)そこで終わっていたら、と思うと、強烈な体験だった」「貴光さんに会えたら、年齢も近いし、一緒に飲みに行ったかもしれない」というと、りつこさんは「きょう、アーサーさんに会えて良かった」と感激した様子で、和気あいあいの雰囲気の中でステージは進行した。

(写真:アーサー・ビナードさん、RCCラジオパーソナリティーの岡佳奈さんとともに、貴光さんのことを語り合う加藤りつこさん=中央=)
熊本地震で崩れた大地を目の当たりにしながらも、生きる希望を感じた中で生まれた楽曲「断崖の翼」や、無名の人に想いを馳せる「あなたを忘れない」など、Vientoの2人のスケールの大きなインストゥルメンタル曲が続き、いよいよフィナーレに。
吉川さんが、「ありがとう、加藤貴光くん!」「また会いましょう」とコールすると、一段と大きな拍手が会場を包み込んだ。
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会場は220人の来場者でほぼ満席だった。
父親が加藤りつこさんの知り合いだという、女子大学生(21歳・高知県在住)は、「(りつこさんとは)小学生のときから知り合いだったが、成長していくにつれて(息子を失ったりつこさんの)気持ちがわかってくるようになった」と話した。
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(写真:メディアの取材に応える加藤りつこさん)
今回、音楽会の夙川での開催のきっかけをつくった、地元・神楽町の米田和正さんは、「30年前のこと(震災)を知らない人もいる。当時、生まれていなかった若い人もたくさんいる」「この音楽会が次の世代に、震災を知ってもらうきっかけになるといいなと思う。貴光さんが(私たちを)つないでくれたんです」と感激した表情だった。
「(貴光さんの)誕生日は、命日の1月17日と同じぐらい悲しい日だったけれど、きょうは晴れやかで、特別な日になりました」とメディアに囲まれたりつこさん。
「これまで、神戸大の慰霊碑に行くことはあっても、(貴光さんが亡くなった)この街には、なかなか足が向かなかった」「でも、あの子が亡くなったこの空に音楽が響き、夙川が悲しい街ではなくなりました」と、瞳を輝かせながら答えていた。
▼関連記事=「連載 【慰霊碑の向こうに】 震災の日、学生たちの命は…<震災30年>」(2022年1月10日)
<前編>
<後編>
▼関連記事=「あなたのことを忘れない 神戸大学四十四人への追悼手記」(1996年1月17日)
https://kobe-u-newsnet.com/newsnet/sinsai/tokusyu/tuito_ho.htm#hou_5
了
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