【震災特集2016】災禍 神戸大生も直面 阪神・淡路大震災から21年

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 阪神・淡路大震災の発生から17日で21年となる。震災では神戸大にも学生や教職員など計50人の犠牲が出た(旧神戸商船大=現海事科学部=含む)。大学には、家を失った大勢の近隣住民が避難。キャンパスも日常を失う災禍を前に、神戸大生の中には被災調査やボランティア活動に取り組む人もいた。

◇大学は避難所に 期末試験は中止

発達科学部グラウンドにキャンプを張った自衛隊 (1995年1月27日 ニュースネット委員会所蔵)

発達科学部グラウンドにキャンプを張った自衛隊(1995年2月8日 ニュースネット委員会所蔵)

 農・工の両学部は神戸市から緊急避難場所に指定されていた。地震直後、両学部だけでなく国際文化・発達科学などの学部にも避難者が押し寄せ、急きょ受け入れることになった。

 六甲台グラウンドや発達科学部グラウンドには、20日から自衛隊がキャンプを張った。当時国際文化学部2年の伊藤耕二さんは、自衛隊が炊き出しや仮設風呂の提供を行う姿が印象深いと話す。「設備が整っていてすごいと思った。感謝している人も多いのでは」

 混乱の中、授業は1995年1月29日(日)まで全学で休講。その後も授業や期末試験は原則として中止され、単位認定は平常点やレポートにより行われた。

 卒業論文は、期限こそ延長されたが提出は求められた。地震で家を失った、当時工学部4年の藤江徹(いたる)さんは「この状況でも卒論を書かせるのか」と怒りを覚えたという。

◇工学部生も奔走 被災調査の使命

 工学部の学生の中には、建物の被害状況の調査に加わった人もいる。

 藤江さんも神戸市や芦屋市などで調査に当たった。「(地震で)自分の家も無くなったのになんで他人の家調べてんねん」という悔しさはあった。しかし「やるしかない」と、大学院進学後も半年ほど調査に関わり続けた。

 当時同学部4年の越山健治さんは、火災が起きた場所で住民に聞き取りを行った。「今しか聞けない(当時の)状況を残さないといけない」という心境だった。衝撃的な状況を前に「使命感が無ければ(現場の)写真は撮れなかった」と当時を振り返る。

 越山さんは現在も、関西大准教授として、都市防災の研究を続けている。

◇「恩返ししたい」学生震災救援隊

 23日には神戸大生の有志が「学生震災救援隊」を結成。伊藤さんも2月から参加した。きっかけは地震当夜の避難所で見ず知らずの人からおにぎりをもらったこと。「なんとか恩返しをしたい」と考えた。

 伊藤さんらは、灘駅前で鉄道利用客向けに休憩所を運営した。当時JR神戸線は灘駅から住吉駅までの間で不通となり、代替バスが運行され、灘駅が人々の移動の拠点になっていた。休憩所では軽食を提供したり、利用者と雑談したりして、被災した街を和ませた。

 4月頃からは、仮設住宅に入居する高齢者が孤立しないように、お茶会を開くなどの活動も始めた。今も救援隊が続ける取り組みの一つだ。伊藤さんは「神戸大生が地元の人と関わるきっかけになった。今でも活動が続いているのはすごい」と感慨深く語った。

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